令和2年 光寿信者参拝時 愛礼の儀神示
教主正使者供丸光先生ご解析

 

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神がご指導くださる神示を1月から8月まで学び続けた皆さまは、9月を迎えて光寿信者参拝時に、さまざまな実体験とともに、成長した自分自身の心の姿を、神魂にご報告、御礼したい熱い思いになっていることでしょう。

今年は、人類の知識、経験では乗り越えられない変化が起きると神が予言されたとおり、大きな環境の変化によって、迷い、苦しみの渦中に置かれた人々も数知れません。しかし、神の教えに生きる皆さまは、祈願とともに心を安定させ、現実を受け止め、的確に判断しつつ、一つ一つを乗り越えてきていることと思います。

結果、「災いと言えるような問題が全くなかった」「あったとしても、最小限で済んだ」「そのおかげで、かえって得るものが多かった」などと、心の成長につながっているでしょう。「こうした事態に直面し、気付けば家族が以前より仲良くなった」「家族の縁がいかに大切か、あらためて気付いた」という人も多いかもしれません。

光寿信者参拝時を迎え、神魂に対して、そうした感謝の心を届けるのが、「御礼御祈願書」です。皆さまが「御礼御祈願書」に託した思いは、正使者の任にある私が、提出されるごとに、神徽魂清(しんきこんしょう)の力をもって確実に、神魂へとおつなぎします。

皆さまには、真心込めて提出したその上で、ご参加いただきたいのが、「愛礼の儀」です。これは、「御礼御祈願書」につづった思いを、皆さまが直接神魂に語る場です。神魂の愛に包まれ、守られた姿を、報告、御礼するのです。神魂は皆さまの全てをご存じだからこそ、感謝の思いを心を込めて語ってください。

よって、「御礼御祈願書」を提出し、そして「愛礼の儀」に参列するのが、正しい順序となります。学びを重ね、大きく救われ、守られた自覚があれば、早々に「御礼御祈願書」を書きたい気持ちになるでしょう。そして、光寿信者参拝時には、感謝の真心と共に神魂の御前にお届けするのです。

今年、令和2年の愛礼の儀に当たり、どのような思いを神魂に届ければよいのか、神が表された神示があります。その神示に触れた上で、ぜひ愛礼の儀に臨んでいただきたいと思います。

 

神示の冒頭、神はまず「愛礼の儀」の真理を表されました。

――歩みし我が「人生」 光寿の時を迎えて 我が「心」を神に届けん――
 この思いの深まりが 「人生」を大きく 高く引き上げる

――歩みし我が「人生」
  光寿の時を迎えて
    我が「心」を神に届けん――  
 この思いの深まりが
  「人生」を大きく 高く引き上げる

愛礼の儀を通し、神魂に御礼の心を届けることの意義が示されています。歩みし我が「人生」とありますが、学びは一年単位ですから、まずはこの一年の歩みを振り返ってみてください。我が「人生」を振り返り、我が「心」を神に届けんとあるので、自分のことです。「今年は夫が…」「妻がこのように…」「子供が…」「孫が…」ではなく、自分自身のありのままの心を、教えに重ねて見詰め直し、報告するのです。

自らの心を見詰め、「今年は、これほど気持ちが安定して…」「いろいろなことがある中で、ここに気付いて、大きく前進できた」などと、思いを具体的にお届けしてください。中には、「今年はいろいろあったけれど、来年はもっと高いものを目指して…」と、先々への誓いもあるかもしれません。

そのような思いの深まりが、「人生」を大きく、高く引き上げ、開運へと導いていきます。「愛礼の儀」の持つ意義の重さを知って、一年一年積み重ねていく大切さに、ぜひ気付いてください。

 

もう一つ、皆さまに気付いてほしいことです。

信者に申す
 大きく時代の力が動いている今 「教え」を人生の支えに「生きる」意味が 体感できたかや
 心素直に 神に「守り」の心を語る
 自然と 神の実在が 我が「心」に映る

信者に申す
 大きく時代の力が動いている今
    「教え」を人生の支えに
      「生きる」意味が
        体感できたかや
 心素直に 神に「守り」の心を語る
 自然と 神の実在が
    我が「心」に映る

今は、時代が大きく変化しつつある時です。その中で、さまざまなことが起こります。それに対し、人の力で何でも対応できると、思い込んでいる人も多数います。しかし、想定外の出来事が、どれほど多いことでしょうか。一つ一つの事柄が、大きく時代の力が動いている結果です。そのようなことに気付かず、何かあれば、責任を追求し、人を責めたり、補償を求めたり、騒ぐばかりの人々もたくさんいます。現状を受け止め、自分にできることに目を向ける人は、まだまだ少ないのが現実です。

物や形にこだわっても、人の心は生き生きすることはありません。精神世界の重要さに気付いてこそ、生きがいが得られます。少しでも家族のためにできることをしようと考えたり、人に喜ばれることを進んで実践しようと努めたり、そのような気持ちで暮らす人は、毎日心に張りがあるものです。まさに、人の評価や収入の多寡などを超えた精神世界です。

神が言われる体感とは、ただ痛みが取れたり、体が楽になったりと、形だけでなく、心の伴う感覚です。何も気になることがないからぐっすり眠れたり、何があっても落ち込まず、前向きでいられたりということです。朝起きて、だるさを覚えるのではなく、「きょうも一日頑張ろう」「やるぞ」と、目覚めが良い感覚です。教えに生きれば、誰もがその価値を体感できるのです。

そのように自分自身が味わった喜びの数々を、心素直に、神に「守り」の心を語るのです。神のご守護あればこそ得られた、心と体で実感した思い、感謝を、神魂に語ってください。それが、愛礼の儀です。そうすることで、自然と、神の実在が、我が「心」に映ると、神は言い切られています。「心」に映るとは、体感のことです。つまり、常に身近にある神の実在、神魂の愛を、さらに強く感じられるでしょう。

 

次の一節も、皆さまが気付かなくてはいけないことです。

迎える年も まだ社会の変化は 大きく 小さく続く  
 「教え」に生きる家庭環境が 変化を受け止める思いを芽吹かせ    
    「教え」が時代の流れを読み取る気付きを引き出す

迎える年も まだ社会の変化は
    大きく 小さく続く  
 「教え」に生きる家庭環境が
    変化を受け止める思いを
      芽吹かせ    
    「教え」が時代の流れを
      読み取る気付きを引き出す

時代の変革期といわれる今は、これからもまだ社会の変化は、大きく、小さく続くと、神は言われます。社会の大きな変化だけでなく、身近なところでも、「いつの間にか、あの店がなくなった」「偉そうにしていたあの人は、今どうしているのか」などと、大きな変化、小さな変化が数多くあるでしょう。

ですから、流れにのまれないことです。そのためにも、「教え」に生きる家庭環境をつくらなくてはなりません。家族で教えが共有できれば、変化を受け止める思いが持て、的確に流れに乗って生きられます。「教え」が時代の流れを読み取る気付きを引き出すのです。

神の教えは、物事の道理を説いています。ですから、社会の流れに合わせて、暑ければ薄着をし、寒ければ厚着をすればよいのです。教えを知れば、どのような変化にも調和していけます。優遇措置が受けられる時には受ける、受けられなくなったなら、それで不満に思うのではなく、流れに合わせればよいことです。何事にも正しく関わっていきましょう。

 

最後の一文が、一人一人にぜひ悟ってほしい事柄です。これからさらに、このような人を目指すのです。

神の手の中 守られ 導かれるすべこそ 祈願と悟って 「教え」に生きるべし

神の手の中
    守られ 導かれるすべこそ
      祈願と悟って
        「教え」に生きるべし

教えに生きなくてはいけないと分かっていても、実体から感情が動くのが人間です。ですから、神の手の中、守られ、導かれるためには、祈願が欠かせないことを悟って、祈願の真理を自分のものとすることです。祈願の真理とは、「学んで、祈願、愛ある心」です。

神の教えを学んでいると、自分自身の実体、性格の傾向、弱点などがよく分かってきます。ですから、そこを補い、直せるように、祈願し、神魂にお守りいただくのです。学ばないと、気付かなければいけないことも分からず、ただ「明日は旅行なので、事故災難がありませんように…」「子供が受験です。受からせてください」「手術が成功しますように…」などと、ご利益を求めるような祈願になってしまいます。それは、まことの祈願ではありません。自分自身を高めるために必要な修正点を、教えから気付いて祈願するのです。そこに、愛ある人、「教え」に生きる人になっていきます。真実、開運できる人です。

今年の愛礼の儀に向けて、神はこのようにご指導くださいました。どうぞ皆さまには、この神示を心に留めて、「御礼御祈願書」に熱い思いをしたため、そして「愛礼の儀」に臨んでいただきたいと思います。