令和2年12月15日 清魂の儀神示
教主正使者供丸光先生ご解析

 

 

毎日、神魂と心を重ねて生きるため、なくてはならないのが、御神体です。年が明けて、信者の皆さまが新たな年の御神体を手にし、安泰な一年を歩みだせるように、12月には「清魂の儀」において神の御魂を封じ込めさせていただきます。その入魂の儀式を執り行うのが、使者としての私の務めでもあります。
12月15日「清魂の儀」に当たり、神はこのように神示をもってご指導くださいました。ここに、御神体とは何か、どのように関わるべきか、御神体の真理が示されています。今も毎日触れている御神体に対する認識を深め、迎える年にはいち早く旧年の御神体を感謝の心でお納めし、新たな年の分魂を手にして、安心感の中で一年を踏み出しましょう。

 

この神示の冒頭に表されたのは、御神体に対する思いです。一人一人が御神体を、このように感じ、受け止めてほしいと、神は示されました。

神が与えし「運命」 その力を磨き 枯らさぬために
    信者は 分魂を預かり 常に神魂に「心」重ねて「生きる」心が大切

神が与えし「運命」
  その力を磨き 枯らさぬために
    信者は 分魂を預かり
      常に神魂に「心」重ねて
        「生きる」心が大切

御神体とは、神が与えし「運命」、その力を磨き、枯らさぬためにあるものです。運命とは、一人一人が持つ、この世に必要とされた、社会に役立てる力です。それを引き出し、磨き、生かしきるために、身近に分魂を預かり、常に神魂に「心」重ねて「生きる」ことが必要なのです。
神魂に心を重ねるとは、神の教えを学び、教えに沿って生きられるように、心の動きを神魂に訴えながら、ご守護の中で生きていくことです。ですから、朝に夕に、事有るごとに、何につけても欠かさず祈願するのです。そのために、御神体は、「御神居用」「個人用」「乗り物用」と、三形態が表されています。

 

次が、御神体に対する神の思いです。神の願いであり、「神の考え方」です。

迎える年も 神の手の中「心」守られ 悩み 苦しみ 迷わぬように
    入魂の儀を使者をもって執り行う
 この真実「真理」を悟れる皆であれ

迎える年も 神の手の中「心」守られ
  悩み 苦しみ 迷わぬように
   入魂の儀を使者をもって執り行う
 この真実「真理」を悟れる皆であれ

神は、迎える年も、皆さまお一人お一人が、神の手の中「心」守られ、悩み、苦しみ、迷わぬように、御神体という形を通して、身近に神の御魂、分魂をお預けくださいます。これは、実にありがたいことです。ですから、家族そろって、日々御神体に心を寄せてほしいのです。
御神体とは、形があるだけではありません。確かに神の御魂、神魂が宿されています。その御魂を宿すための入魂の儀を使者をもって執り行うと、神は表されました。これが、御神体に対する神の考え方です。入魂の儀式は、神示教会の草創期、供丸斎先生の時代からありました。もちろん、供丸姫先生の時代にも行われました。そして、神魂の時代の今は、私が使者として執り行っています。
この世には、人の努力の限界を超えたことが、数知れずあります。そもそも、運命実体の枠から逃れられないのが、人生です。実体に操られたのでは、人の心はどこへ向かっていくか知れません。ですから、悩み、苦しみ、迷わないように、常に神の手の中「心」守られ、生きることが必要です。
一人一人の仕合せを願い、人生に寄り添い、心を正しく導いていけるように、神は使者を通して入魂の儀を行い、翌年の御神体をお預けくださいます。この真実「真理」を悟れる皆であれと、神は呼び掛けられています。神示教会には神示があり、その神示から「人生の真理」「社会の向かう姿」を知ることができます。それを祈願を通して、我が人生、心に生かして日々歩めば、人は誰もが必ず悔いのない人生を全うすることがかないます。

 

次が、御神体への関わり方です。御神体だから、祈願すればよいのではありません。正しい関わり方を知ってこそ、祈願が神に通ります。御神体を手元に預かるだけでは、不十分ということです。

「教え」を学び この世の真実「真理」に気付けるほどに 人は 必ず神の力を求める
 心正しく祈願もできる
 分魂 神の力が入魂された存在あればこそ
    信者は 祈願を通し 「真理」に生きる心が持てる

「教え」を学び
  この世の真実「真理」に
    気付けるほどに
      人は 必ず神の力を求める
 心正しく祈願もできる
 分魂 神の力が
  入魂された存在あればこそ
    信者は 祈願を通し
     「真理」に生きる心が持てる

神の「教え」を学び、そしてこの世の真実、すなわち社会の現実を、教えに重ねて見詰めてみることです。そこに、この世の仕組み、物事の道理、人としてあるべき姿が見えてきます。運命実体、与えられた分、器の中にあるのが人生だからこそ、神の意に沿って生きなくてはいけない、心の動きを守っていただかなくてはいけない、人間にはどれほど努力しても、かなわないことが数多くあるのだから…と、神の力を求める心になるでしょう。
そのように気付いてこそ、心正しく祈願もできるのです。的を射た祈願をするには、教えを学ばなくてはいけないということです。「学んで、祈願、愛ある心」です。この順が大切です。教えに触れる中から、自身の欠けたところに気付き、それを修正できるように祈願とともに努力して、教えを自身のものとできるように努めるのです。そこに、愛ある心の自分、真理に生きられる自分、希望の光が通る自分になっていきます。
分魂とは、文字通り、神の御魂を分けて入魂された実に尊いものであり、正しく祈願すれば必ず受け止めてくださる、神のお力そのものです。ですから、祈願すれば、「真理」に生きる心が持てます。神の教えを知らない人は、自己中心的になりがちで、意に沿わないと不満を感じ、文句を言っては和を乱すこともあるでしょう。真理、神の教えを知って、正しい生き方ができるように祈願することです。そこに、心の動きが正しく導かれていきます。

 

そして、最後に御神体への正しい認識を持つように、神は促されています。

新たな年に入る今
    信者は 心も新たに切り替え 旧年の分魂を納めて 新年の分魂を手にすべし
 気持ちの切り替えが 清魂 清礼の神事を通し 図らわれている

新たな年に入る今
    信者は 心も新たに切り替え
      旧年の分魂を納めて
       新年の分魂を手にすべし
 気持ちの切り替えが
    清魂 清礼の神事を通し
      図らわれている

長い人生の最小単位は、一日です。ですから、毎日朝夕、心の安定を祈願することが基本であり、それを繰り返す中で一カ月となり、やがて一年となります。新たな年に入る今は、も新たに切り替える大切な節目の時です。だからこそ、心を切り替え、旧年の分魂を納めて、新年の分魂を手にするのです。
大切なのは、気持ちの切り替えです。新たな年になるからこそ、心を大きく切り替えるのです。神の教えを学んでいれば、心は容易に切り替えられるはずです。祈願祭から始まり、月々学びを重ねて8カ月、心を高めて、一年の実りを得る光寿信者参拝時を迎えます。そして、12月愛寿御礼信者参拝時で御礼とともに心を清めて、また新たな年を迎えるのです。気持ちを切り替えて、1月1日祈願祭の神示で新たな年の指針を学び、心を着実につないでいきましょう。

 

※新年を迎えたなら早々に、令和2年を一年間お守りくださった旧年の御神体を感謝とともにお納めし、令和3年の安泰を願って新たな御神体をお預かりしましょう。感染症対策として地区指定制を設けますが、御神体のお預かりやお納めが2月、3月になってしまうのは好ましくありません。特に、返納された御神体は、1月23日「清礼の儀」で、御魂抜きとともに、そこに込められた一人一人の思いを、神のお力でお清めいただきます。ですから、どれほど遅くとも、神総本部は1月20日、偉光会館は1月15日までにご返納ください。