令和3年1月23日 清礼の儀神示
教主正使者供丸光先生ご解析

 

 

新年を迎えて皆さまは、「清魂の儀」で神の御魂が封じ込められた新たな御神体を、各家にお預かりになったことでしょう。同時に、昨年一年、大きくご守護いただいた御神体も、それぞれが感謝の思いで、神総本部、偉光会館に納められたことと思います。皆さまが返納された昨年の御神体から神の御魂を抜くとともに、一年間訴え続けたもろもろの思いを神のお力できれいに清め去るのが、「清礼の儀」です。神徽魂清のお力があってこそなし得る、御魂入れの神事「清魂の儀」と、御魂抜きの神事「清礼の儀」は、一対の儀式です。
本日の「清礼の儀」に当たり、神はこのように表されました。ここには、信者であることの意義、そして現状を見据えて気付いてほしいこと、また目指してほしい信者の姿をご指導くださっています。

 

まず、冒頭に示されたのは、神示教会に信者と籍を置く意味です。

「教え」を学び 「真理」を人生の支えに生きて 人は「道(正道)」を歩み抜ける
 真実「真理」が薄い今の世にあって
    「教え」を学び 真実を知り 祈願で「心(実体)」を高める努力が必要

「教え」を学び
  「真理」を人生の支えに生きて
   人は「道(正道)」を歩み抜ける
 真実「真理」が薄い今の世にあって
  「教え」を学び 真実を知り
    祈願で「心(実体)」を
      高める努力が必要

信者として、神の手の中、ご守護を得るには、本人の自覚、認識がとても大切です。神示に触れる際には、興味本位ではなく、尊い救いの言葉として真剣に受け止める思いの強さが必要です。神示を通して「教え」を学び、それを人生の支えに生きようとする思いです。その心があって、人は「道」を歩み抜ける、すなわち人として正しい道を歩むことができるのです。
正しい道とは、物事の道理にかなう生き方です。得をする、損をするなどと、計算高く生きるのではありません。「同じ料金なら、たくさん食べなくては損」と、胃腸の弱い人が食べ過ぎれば、具合が悪くなります。分、器、体調に合わせるのが、正しい生き方です。まして、一つ一つに感謝し、祈願とともに、周りと和やかに食事を取るような生活なら、自然と健康が守られるでしょう。
教えを学べば、そのようにさまざまなことに気付けるから、物事の捉え方、感じ方、考え方が変わっていきます。そして、持って生まれた良さが生きて、悔いのない人生が歩めるのです。生き方そのものを高めていけるのが、神示教会に信者と籍を置く価値です。
現代社会は、物事の道理を踏まえず、あふれる知識、情報に振り回されて、正誤の判断が入り混じっています。目の前の事柄にも、各自の観点で批評を加えがちです。政治の世界も、経済の世界も、報道なども、その傾向が強くないでしょうか。こうした真実「真理」が薄い今の社会の風潮に同調してしまえば、先々心が乱れ、流れにのまれてしまいます。
そうならないためには、「教え」を学び、真実を知り、祈願で「心」を高める努力が必要です。神示から正しい生き方を知り、祈願を通して自然と実践できる自分になることです。そこに、持って生まれた気質、体質、性格なども、短所が抑えられ、長所は引き出されて、より良く修正していくことがかなうのです。

 

 

次は、現状に対して、神が示された「気付き」です。御神体を預かり、それぞれが訴えてきた思いは、次のような傾向が強いと、神は指摘されています。ここが、気付いて、修正を図るべき留意点です。

神見るに 信者の心に祈願が弱い
 実体の修正を求めず 願いかなうことを求める者が多い
 よって 奇跡を体験しても 「真実の道」につながっていない
 悩み 迷う人生が続いてしまう

神見るに 信者の心に祈願が弱い
 実体の修正を求めず
   願いかなうことを求める者が多い
 よって 奇跡を体験しても
   「真実の道」につながっていない
 悩み 迷う人生が続いてしまう

 

後半は、「悟り」、自分自身の生き方に取り入れなくてはいけないことです。

返納分魂――不安に迷う信者の心を 清め 流す
 ゆえに 迎えた今こそ 「教え」に生きて 「心(実体)」高める決意がほしい
 この思いが深まるほど 「希望の光」を通す気付きが増える
 心正しい祈願が 「人生」を「真実の光」へと導き 神の手の中 守りは大きい
虚実が混じり合い 社会の流れは混沌としてゆく
 正しい祈願が 「人生」を「正道」へと導くと 気付くべし

返納分魂――
    不安に迷う信者の心を
      清め 流す
 ゆえに 迎えた今こそ
  「教え」に生きて
    「心(実体)」高める
      決意がほしい
 この思いが深まるほど
  「希望の光」を通す気付きが増える
 心正しい祈願が
  「人生」を「真実の光」へと導き
    神の手の中 守りは大きい
虚実が混じり合い
    社会の流れは混沌としてゆく
 正しい祈願が
    「人生」を「正道」へと導くと
      気付くべし

一年間、救いを求め続けた返納分魂、そこにこもる不安に迷う心を、清め、流すと、神は言ってくださいました。これまで引きずっていた思いも、神徽魂清のお力できれいにはらい清めれば、気持ちの切り替えができるはずです。
こうした心の切り替え時だからこそ、「教え」に生きて、「心(実体)」高める決意を新たにするのです。「心」を「実体」と示されています。教えを自然と守れる自分になり、実体、すなわち物事の捉え方を高めていくことです。これがかなうのは、冒頭に示されたように信者であることの深い自覚あればこそです。
心を高め、正しい信者になろうと決意するほど、「希望の光」を通す気付きが増えると、神は言われました。希望の光を通すには、道を守って暮らすことが必要です。正しい生き方、正道を歩もうと努めるから、日々心が穏やかで、不平、不満がなく、多くの人、物との出会いが深まります。物事を曲がって見ることもなく、人から注意されても、「ありがとう、教えてくれて…」という感覚でいられます。道を守る生き方に希望の光が通り、実体が引き上げられて、開運に近づいていくのです。
そのような人は、教えを学び進めるほど、日々の祈願が深いものになっていきます。心正しい祈願が、「人生」を「真実の光」へと導き、神の手の中、守りは大きいと、神は言い切られています。「真実の光」とは、まさに開運がかなうことです。その家の心の道に良い因を残し、自分の次の人生まで大きく守られ、まことの幸福が実現するのです。
現実の社会は、虚実が混じり合い、社会の流れは混沌としてゆくと、神は今年の姿を予言されました。虚実とは、正しいことと間違ったことが入り混じった状態です。だからこそ、正しい祈願が、「人生」を「正道」へと導くと、気付くべしと、神は呼び掛けられています。
人の生きる「正道」とは、まさに希望の光を歩む生き方です。教えを学び、正しい祈願ができるようになると、神魂のご守護の中で確実に実体が引き上げられ、運命を引き出した、その人なりの正道が歩めます。胃が丈夫なら、大盛りを食べても正道です。胃が弱く、体調の優れない人が大盛りを食べたのでは、正道ではありません。正道とは、善悪の意味ではなく、自分なりの運命実体に見合った人生なのです。

 

令和3年を迎え、皆さまは「祈願祭」の神示から、一年のありようを学ばれたと思います。そして、「清魂の儀」「清礼の儀」という一対の儀式を通し、神徽魂清のお力で気持ちの切り替えを図られました。皆さまには、神示に表された今年の指針をつかみ、一日一日を大切に、希望の光を歩んでいただきたいと、切に願っています。