人間は、一人一人を「救いたい」と願ってくださっている神と、「祈願」を通してつながることができます。ただし、思いを届ける手だての「祈願」がずれていては、ご守護も十分には味わえないでしょう。神の救いのお力が大きく動く「正しい祈願」。それをつかむ特別行事「神に通る祈願」が6月15日に行われました。「正しい祈願って何?」「私の祈願は合っている?」そうした疑問や迷いをすっきりと解消し、自分の思いを、自信を持って神に届けたい…。開始前には、当日から受け取りが始まった「神に通る祈願」のリーフレットを真剣に読む姿があちこちで見られ、気付きたい、変わりたい、つかみたいという人々の熱い思いがうかがえました。
正しい生き方に近づくために
「神に願うのは目先の願望ではないのです」と始まった行事は、気付きの連続。神が授けたいのは、望みがかなうという一時の喜びでなく、「人生そのものを根こそぎ救う」こと。そのために、神の教えを通して、「どう生きるべきか」をつかむ必要が、どうしてもあるのです。学ぶと、「家族への関わり方が間違っていた…」「つい欲が…」「人の欠点が気になって…」と、幸を邪魔する自分の弱点に気付けます。そこを修正できるように訴えれば、怒りが収まったり、人の話を素直に聞けたりと、本来なら変えられない心が変わります。心が変わるのは、神の力の後押しがあるからに他なりません。「真理を表したから、あとは自分で頑張って」という神ではないのです。その一方で、本人が祈願を通して神に求めなければ、救えないのが神の世界の掟(おきて)です。
もっと変われる手応えに明るい希望が
誰もが陥りがちな事例を交えた内容に、各人がくぎ付け状態でした。いつも「ここに気付いて、ここから始めれば大丈夫」と導き続けてくださっている神。かつて、格好をつけず、見栄(みえ)も外聞もなく、「助けてほしい」「救ってほしい」と本心から救いを求める大切さをお説きくださった直使。一人一人を救い上げようとされる神の深い愛が、出席者の心に染み入りました。
行事終了後の祈願は、いつにも増して真剣そのもの。「まだまだ変われる、もっと守られる」それぞれが確かな手応えを感じ、明るい希望を抱きました。
神の愛を感じて素直な思いを
「不完全で心が弱い人間だから、神が祈願という手だてを下さっているのだと知って、胸がいっぱいに。神は全部お見通しなのだから、格好つけず、こんな自分が嫌とか、こんな心がつらいと、その時々の気持ちをありのまま語ればいいのだと分かりました」
「今までいかに、神に通らない祈願をしていたかと大反省です。勉強会の前後に何を語るのか、そもそも何のためにするのかを見詰め直せたことは大収穫。マンネリ化し、いまひとつ手応えを感じていなかったけれど、きょう教わったことを早速実践してみます!」
「人生を根こそぎ救おうとしてくださっている神に思いを届けられる、こんな素晴らしいことはありません。心の内を全部伝える怖さを感じていたなんて、大間違いでした。駄目な自分もお見せして、本気で向き合っていきます」
「病気になって不安だった私にとって、神に届く祈願は絶対知りたかったこと。勉強会の後、一人で我慢しなくていい、神が心を受け止めてくださると安心して祈願したら、不思議と『大丈夫』と明るく前向きな気持ちになって、祈願がちゃんと届いていると感じました」
「お願いや不満は語っても、性格を正そうなんて全くしていませんでした。祈願していたつもりで、ズレズレだった自分に衝撃が走りました。変わらなくては!」
朝夕、事有るごとに、心の内を神に語り掛けていけば、常に明るく、穏やかな心で過ごせます。心を開いて祈願。きょうから早速、生かしていきましょう。
祈願をすると 神の力が働く
「教え」に重なる心を願い求めて祈願をすると
悪(あ)しき「実体」は抑え込まれ 「運命」に導かれて心が動く
「道」を守って日々生きられるように 「教え」を学び 祈願重ねて「人生」をゆく
祈願をすると 神の力が働く
「教え」に重なる心を
願い求めて祈願をすると
悪(あ)しき「実体」は
抑え込まれ
「運命」に導かれて心が動く
「道」を守って日々生きられるように
「教え」を学び
祈願重ねて「人生」をゆく
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』155ページ(中略あり)
本行事は、視聴会を行っています。事前に「“運命”を引き出すBook」2、3ページを予習してから、ご出席ください。