昨年一年間、喜びも、苦しみ、悲しみも、思いを語り掛けてきた御神体。そこにこもる各人の思いを清め、分魂を神の元へと戻す「清礼の儀」が、1月23日、神の使い人によって執り行われました。世界各地から返納された御神体が並ぶのは、神総本部真実の光会館光明殿。神のご本体が宿る、いわば救いの源泉となる御場所です。神事の冒頭で、教主正使者供丸光先生、神奉仕供丸清先生は、まず神に、昨年多くの方々が数々の奇跡を頂けたことへの御礼を述べられ、「引き続き、神のご守護を頂ける一年に…。正しい心に戻り、引き上げられるように…」と願ってくださいました。
心が晴れ上がり、今年の決意・誓いを新たに
神聖で清らかな空気、ぴんと張り詰めた厳かな雰囲気の中で響くのは、御神体を清める塩の音と、神から下りるお言葉を伝えてくださる神の使い人の御声のみ。神と神の使い人との間で計らわれる不思議な光景を通して、参列者の誰もが、見えない神を心ではっきりと感じたひととき。あらためて、日頃心を守り、導いてくださっている神への感謝が湧き上がります。
儀式中に表された神示には、「社会の姿が大きく変わる」とのお言葉が。変化に心がのまれないようにするには、対処するための知識や情報でなく、“和のある家庭”“心が重なる家族”がどうしても必要です。御神体は、その年の姿を見通されて、神が授けてくださるもの。今年の御神体には、時代の変動期を生き抜ける神のお力と、それを願われる神の愛が封じ込められています。そのような分魂だからこそ、身近に預かることがどれほど大切か。供丸光先生は、神の教えを家族で学べば、明るく強い心、生きる力が引き出されて、事故、災難なく過ごせると、力強く語られました。併せて、供丸清先生からは、迷いや悩みを受け止め、多くの方々を救った分魂、その一体一体を、塩のように真っ白に清めてご本体に戻すことができたとのお話も。返納した方々は、さまざまな思いが流れ、心がすっきりと晴れ上がる感覚を味わえたでしょう。そこに芽生えるのは、新たな決意・誓いです。
神に通る祈願で仕合せな一年を
参列した、神示教会の地域を預かる地域窓口の誰もが、神事を終えて、心に熱いものが込み上げています。
「『家族で仕合せをつかんでほしい。絶対に救われるから…』そんな神の愛がこもっている御神体をお預かりしているのだから、何があっても大丈夫、乗り越えられると、地域の方々に力強く伝えていきます」
「社会が大きく変わるから、のまれないように…と聞けば、不安しかないはず…。でも、だからこう生きればよいと、神が教えてくださるおかげで希望が湧いてきます。みんながこんな気持ちで毎日を過ごせるように、一人一人に温かく寄り添いたい」
「新たな年を迎えるたびに、『今年も頑張ろう』と明るく前向きになれるのは、決して当たり前ではないと痛感しました。清礼の儀は、御魂を抜くだけでなく、一年分の思いを清め、心が生まれ変わるためのもの…。神の使い人が、私たちに代わって神に御礼を述べられ、仕合せを願って清めてくださっていることがありがたくて、涙が止まらなかったです。今、心にあるのは、『今年もますます救われていく』という夢と希望、そして『地域のみんなで仕合せになる!』という思い。一人一人に愛を持って触れていきたい、そんな誓いを心に深く刻み込みました」
「今年の神示で、心にズシッと来たのは、家族との調和。『気を使い過ぎるのは調和ではない』と気付いて、素直に思いを伝えてみたら、不思議とうまく重なることが…。そうしたら、他の人とも、今まで以上に心が通い合って…。流れに乗る感覚をつかんだ気分です。地域の皆さんとも、お互いに学んで実践したことを語り合い、みんなで成長できるように頑張ります」
御神体を祭るだけ、身に着けるだけ、願いを訴えるだけでは、本当の神の力は味わえません。味わうための一番の近道は、神に通る祈願をすること。神に何を語ればよいのかは、神の教えを学ぶことで見えてきます。朝は一日の安泰を…、日中は心が揺れるたびに安定を…、乗り物に乗るときは心のゆとりを…、夕方は一日の御礼を…。他にも、仕事をするとき、お守りを頂いたとき…と、いつでもどこでも神と共に歩んでいく感覚は、御神体があるからこそ意識できます。社会の変化が大きい今年、分魂に思いを語り掛けていけば、流れにのまれることはありません。家族と共に、絶大な安心感の中で仕合せな一年を過ごしましょう。
※「菜の花ひろば」では、清礼の儀の際に表された神示もご覧いただけます。