「人間の価値は、世に役立つ力を持って生まれていること」神が言われるとおり、たとえ体に障害があっても、誰もがその人なりの良さを秘めて、この世に必要とされて生まれたことに違いはありません。それぞれが自分の良さを生かし、自信を持って社会で活躍できるように行われているのが、視覚、聴覚、肢体に障害のある人たちの集い、「供の会」です。今年の初回が2月18日、神総本部から偉光会館に中継して開催。会場には、障害者とその家族が集まり、「仲間に会えるのがいつも楽しみで…」と、開始前から明るく和やかな雰囲気が広がりました。
家族や縁のある人と「調和」する生き方を
「なぜ神は、家族、家族と言われるのでしょう」との問いからスタート。家族とは、人生という大海原を共に進んでいく小舟のようなもの。大波、小波が押し寄せても、みんなが同じ方に向かって声を掛け合い、それぞれが役割を果たせば転覆しないと、家族の大切さを共有しました。「本当にそうだ」と、ノートにしっかりと書き込む付き添いの家族の姿も。
意見交換の場では、「家族のためにしていることは?」をテーマに発表しました。疎遠だった家族と連絡を重ねてきた男性は、家族が感染症の蔓延(まんえん)を心配してくれたとのこと。その優しさが身に染み、家族を思う気持ちが深まって、「もっと自分から連絡を」と語りました。別の女性は、両親に「こうしてほしい」と求め過ぎ、苦しめていたと反省。「一緒に暮らしていることに感謝して、心が重なる親子を目標に」と力強く語ると、大きな拍手が送られました。
家族をはじめ、人間関係で欠かせないのは「調和」。人が手を差し伸べてくれたなら、まずは「ありがとう」と相手の気持ちを受け入れること。物を尋ねるときも、「教えていただけますか」と謙虚な姿勢なら、力になりたいという心が相手から引き出されて、温かい関係が生まれること。日常生活でありがちな事例に、「それならすぐできる」「いつも意識しよう」と意欲が湧きます。
しかし、つい出てしまうのが性格です。だからこそ、教えに触れて、気付いて、意識して…を繰り返す「学び癖」をつけることも確認。視覚障害の女性は、パソコンで教会図書を読むうち、つらい出来事を良い経験と捉えられ、学ぶ価値を実感。夫と学び、語り合える日を目指しています。
「学び癖」をつけて、家族と仕合せを味わう
「以前、自分と同じ視覚障害の人の活発な発言に刺激を受けてから、すごく前向きに…。妻に思ったことを話すようにしたら、会話も増えました。他にも何かできないかと考えて、お茶を入れてみると、『私より上手ね』と喜んでくれたのがうれしくて…。これからも続けたいです」
「小児まひで両足に障害が残りましたが、家族が特別扱いしなかったので、『人と違う』なんて思ったことがありません。小さい頃、家での当番は洗濯。おかげで、年齢を重ねた今も、工夫しながら家事をしています。できることは何でも頑張って、支えてくれる家族にも感謝、感謝」
「耳が聞こえなくなってから、一人で参加していた私。きょうは、母に『一緒に行きたい』と言って、初めて二人で出席できたので、うれしいです。家族に支えてもらったときは『ありがとう』と伝えますが、本音が言えないことも…。きょう学んで、少しずつ克服したいと思いました」
「『学び癖』をつける! 飽き性な自分が今、分厚い『生命の歩み』を読み進めています。目次を見て、気になった所を開くのが自分流。自分や人のことがよく見えて、心の整理がつきます。いろいろ考え過ぎてしまう悪い癖が出なくなり、大きな手術を控えていても現実を受け止められ、気に掛けてくれる家族の存在もありがたく感じて…。教えを学ぶ素晴らしさを実感する日々です」
一歩も二歩も成長することを誓って
同じ境遇にある人たちと交流できるのも、供の会の魅力の一つです。共感できるから励みになり、頑張っている姿に勇気をもらうことも。心が生き生きしていれば、良さが光って、周りに良い影響を与える存在になれます。
世の中の流れにのまれないために、思いを語り合い、心が重なる家族となる。自分の持ち味を引き出し、磨くために、家族と教えを共有して実践し合う。次の「供の会」では、一歩も、二歩も成長した自分となって会いましょうと、みんなで誓い合いました。
次回は5月6日(土)です。ぜひ家族と一緒にお越しください。参加したことのない対象の人がいられたなら、どうぞご案内ください。