数ある職業の中で、聖職ともいわれるのが“教師”です。本来なら、やりがいや喜びをたくさん味わえるはずが、いじめや不登校などの問題が絶えない昨今。その責任を負い、対応に苦しみ、体の不調やメンタル面で、教師の道を続けられなくなる人も少なくありません。そのような中、小学校、中学校、高校の教職に就いている人を対象とした「教師の会」が、8月15日、神総本部から全国の偉光会館に中継して行われました。
“人の心を育む”尊い職で“心の教育”を
「教師は“人の心を育む”尊い仕事…。そこで果たすべき任とは何かを考えましょう」職員の熱い呼び掛けに、心がぐっと引き寄せられ、力強いまなざしを向ける出席者。日頃、自分の姿が映し鏡のように子供たちに現れていくのは、相当な緊張感でしょう。重責を担っている自覚があるからこそ、「この会から大切なことをつかみたい」という意欲あふれる姿勢に、会場の雰囲気がきりっとします。
教育の場面は「家庭」と「学校」とがあり、一番重要なのが、良い性格をつくる「家庭教育」。「学校教育」は、共同生活の中で自分の性格を自覚し、軌道修正の意欲を起こさせる場です。双方の役割の違いは明確で、「家庭の問題に立ち入れば、のりを越えてしまう」との話に、教師が関われる範囲を再認識した人も。また、学校という組織の中で、困ったときは仲間を頼って、心を重ねてチームで考えることも大事。自分の弱みを見せるのは恥ではなく、「生徒を育むための本物の奉仕心」との言葉に、「なるほど!」と、うなずく姿もありました。
真理を知っている私たちだからできる“心の教育”、そこに臨む姿勢をつかんだひととき。神の教えという真理があればこそ、正しい関わり方、形にのまれない生き方、相手の心を大切にする対応…どれをも迷わずに行え、確実に成果につながるのです。
教師としての目標を新たに
行事の後は、出席者同士で語り合いの場が。自身の思いを語り、仲間の話に共感や発見も得られる有意義な時間となりました。中には、教師を続ける自信をなくしていた人が、行事の内容や仲間の声から、教師という職業の素晴らしさにあらためて気付き、神の教えを軸に頑張る意欲を取り戻した姿もありました。
「家庭に問題のある生徒をかわいそうに思って、首を突っ込み、つらい思いをしたことも…。きょうの話を聞いて、のりを越えていた!と気付けました。教師にできることは限界がある…と引くのではなく、“できることはいくらでもある”から、それを見つけてやっていこうと思います」
「生徒から、『先生、俺たちのこと、大好きだもんな~』と言われてびっくり。生徒の姿は自分の映し鏡とありましたが、『大好き』は言葉にしなくても伝わるんですね。愛される喜びを知ったのだから、子供たちにも人を愛する心を持ってほしい…。それができるように関わっていきたいです」
「親との接し方に悩む生徒に、『両親には何でも正直に素直に話すんだよ』、親御さんには『お子さんの話を何でも聞いてあげてください』と力強く言えるのは、神の教えで真理を知っているから。教師として、正しい生き方を分かって伝えられるのは、大きな自信です」
「中学校の教師になって3年目。生徒に一生懸命関わっても、『これで良かったのか?』と考え過ぎて苦しくなることがあった私。でも、神の教えを学んでいるおかげで、子供たちの良いところを見るようになりました。褒めていくと、明るくなったり、想像以上の力を発揮したり…。その成長ぶりが、うれしくてなりません。本気で寄り添えば、必ず心を開いてくれることを実感します!」
時に、壁に当たり、葛藤が生じても、真理を軸に向き合うなら、一つ一つ、確実に乗り越えていけます。しかも、何事も糧とでき、結果も伴っていく…。こうした神の応援が頂けるのが、信者の特権であり、最大の強みです。教師として役に立つ極意は、“真理を学んで、身に付けて、のりを踏まえて心の教育をしていく”。やるべき軸が明確になり、やりがいや喜びも共有して、教育現場に立つ意欲が湧き上がる会となりました。