多くの人が救われてきた地
終戦後の混乱期、「自分に残された人生を、これからはこの日本国の平和のためにささげよう」と誓われた供丸斎先生。人々の役に立つようにと、銭湯を再建されました。「衣服のボタンと同様に、人間に必要な物だから」と「ぼたん湯」と名付けられ、困っている人には無償で提供されたのです。
その銭湯のあった場所は、横浜市西区戸部町。後に、神からご指示を受けられた供丸斎先生が、人類救世の門戸を開かれた、神示教会発祥の地です。供丸斎先生が、神の意のままに厳しい修行を積まれ、人々の仕合せのためだけに尽くされる中、この地で、どれほど多くの人が救われたか知れません。
やがて、神のご座所は、現在の神総本部へ。かつての総本部は、供丸姫先生が神と繰り返し相談され、供丸斎先生がかねてから望まれていた、全国から訪れる人々のための宿泊施設として生まれ変わりました。平成5年9月10日のことです。以来、大勢の人が活用し、「心まで元気になった」「気付いたら、こだわる思いが流れていた」「泊まるたびに、持病のつらさが和らいで…」と、数々の不思議や喜びを味わってきました。
人々の救いをかなえるための環境を、今後も末永く活用していただけるように…。「新生」の動きが全国で進む今、この宿泊処もまた、客室の改修等の工事がご守護の中でかないました。
一部屋一部屋を丁寧にお清め
工事終了後の9月11日、神主教会長先生、教主正使者供丸光先生、神奉仕供丸清先生が宿泊処へ足をお運びくださいました。そして、供丸光先生、供丸清先生により、清めの儀が執行。お二方は、広い施設の隅々まで回られ、建物の外周から客室の一部屋一部屋に至るまで、それは丁寧にお清めくださいました。静かな館内に響く、供丸光先生が九字を切られる力強いお声。ザーッと宙を舞う御塩。玄関、フロント、客室、大浴場…どこにも温かさが漂い、「居心地の良さを感じます」「素晴らしいですね」とのお言葉も。
「この館を活用し、一人でも多くの方に救われる喜びを味わっていただきたい」。儀式に立ち会った関連職員の誰もが、こうした思いを強め、より一層心が重なりました。
家族で泊まって、心が一つに
清めの儀に向けて表された神示の一節です。
戸部の町は
使者供丸斎の人生を
救世へと導き
代神を生んだ環境(ち)
この環境(ち)には
欲心を抑え 救世心を育む
運命(ちから)が宿っている
供丸斎先生の救世心を育み、代神へと昇華させたほど、大きな力が宿っているこの地。そこに建てられた宿泊処は、「家族で泊まり 気持ちの交流を深める環境(ば)」であると、神はお教えくださいました。家族で学び、家族で泊まり、思いを語り合うひとときに、家族の心は確実に一つにまとまります。「けんかもするけれど、優しい一面がある」「随分、支えてもらった」「やっぱり大切な人」などと、見方も愛深く変わるでしょう。お互いの悪い面を修正し、良さを磨き合う思いも強まって、一家丸ごとの救いへ必ずつながります。
総本部から宿泊処へと形は変わっても、この地は、人々が仕合せになることだけを願われた供丸斎先生の思いが色濃く、今もなお包んでいる環境です。家族そろって泊まり、土地の運命、その力を味わい尽くしましょう。