「体の弱い自分が、こんなに元気になれて、その感謝の気持ちから…」「何度も足を運んでいる神の館で、何かできることがあればと…」「以前の清掃の場で、とっても心が清まった感動が忘れられなくて…」さまざまな真心を胸に集う参加者たち。みんなが待ち焦がれた神の館の清掃。4月から地域の仲間と参加できるようになりました。
「神の館に出入りして得られることは何?」その一つが、“心が豊かに変わっていく不思議さ”です。この体験を味わえるのは、参拝したり、勉強会で学んだりする場面ばかりではありません。「清掃」でも、同じなのです。時間としては、わずか数十分。しかも、内容は、掃いたり、拭いたりと、ごく普通の掃除。なのに、終了後には、「モヤモヤしていた思いが流れて、心がスッキリ!」「人の優しさが身に染みて、心がふわーっと温かくなりました」「親の介護で疲れ気味だったのに、明るく前向きな気持ちが湧いてきてビックリ!」などと、自分の変化を感じます。
物の命を大切にし、人の役に立てるように
清掃に臨む上で参加者が共有するのは、“きれいに”でも、“素早く”でもありません。“物の命を大切に”し、“人のために役立とう”とする「奉仕の心」です。
「奉仕」とは 縁ある人 物の心を生かさんとする 我が心の動きを申す
この心身に付けし者は 道(光)を通し 相手の人生にも役立つ活動となるのである
「奉仕」とは
縁ある人 物の心を
生かさんとする
我が心の動きを申す
この心身に付けし者は
道(光)を通し
相手の人生にも役立つ活動と
なるのである
『真実の光・神示 平成16年版』67ページ
神のご本体が宿る真実の光会館を担当したある人は、「奉仕の心」に加え、「清い心」も意識して臨んだら、手すりを拭くにも、自然と丁寧に。「こういうゆったりした心が欠けていた。いちいち周りに振り回されて感情的になる自分を変えなくては…」と目指す姿が見えました。
勉強会の教室がある会館では、長い階段、広い床、多くの椅子の清掃を数人で分担。「ここまで終わりましたので、お手伝いできます!」「助かります」。「ゆっくりしかできませんが…」「みんなで応援しますから気にせずに…」。奉仕の心で関わる意識を持って取り組めばこそ、自然と相手を思いやる声掛けが生まれ、あちらこちらで温かい空気が流れます。通りがかった人からの「ありがとうございます」の言葉に笑顔で応える姿に、ますます温かさは上昇。ある人は、「『ありがとう』のひと言がこんなにうれしいなんて…。自分も感謝の言葉を口にしていきたい」と、すぐにも実践していました。
「『皆さんが気持ちよく使えるように…』そう思いながらすると、“この椅子、誰が座るのだろう”と何だか楽しくなってきて…。家事を面倒に感じるのは、この心がなかったからと気付きました。家に帰ったら、『家族に喜んでもらえるように…』という気持ちでやってみます」
「初対面の方から優しく声を掛けてもらって、人の温かさにじんとしました。人見知りの私ですが、職場でも、もっと自分から同僚に声を掛けて、人との縁を大事にしたいと思います」
「掃除の仕方も、ペースもみんな違って…。それをいけないとか、もっと速くと求める見方になりませんでした。どんな人とも“調和”すれば、みんなが気分よく、笑顔になれることが分かりました」
心を磨く人たちの輪は全国にも
清掃は、全国の偉光会館でも行われています。4月に開所したばかりの宮崎偉光会館でも、早速に参加者が。また、100名を超す人が駆け付けたのは、5月が開所記念日の愛知偉光会館。「今まで救っていただいた感謝の気持ちで清掃しよう!」と、窓ガラス1枚、床の隅々までもぴかぴかに。「いつまでも大切に使いたいから…」真心で磨かれた館は、感謝が充満した、さらにぬくもりあふれる場所になりました。
奉仕の心で臨む清掃で育める、「物の命、人を大切に思う心」。気付いたことは、今の自分に必要な課題であり、目指す姿。日常生活に取り入れていけば、物への愛着が湧いたり、人の気持ちを思いやれたり…。心が豊かになるほどに、家の中も、職場も…、いろいろな変化が表れて、確実に自分や我が家の仕合せにつながります。
「奉仕心を高める清掃の場」は、神総本部では地域ごとの申込制です。詳細は信者専用コーナー「菜の花ひろば」にログイン後、「リーフレット・掲示」からご確認ください。偉光会館は、それぞれの偉光会館でご確認ください。