静岡県で初となる神の館が焼津に誕生したのは、平成4年12月7日のこと。各人の心を洗い清めるかのように、激しい風雨に見舞われた、嵐の開所式でした。当日神は、「きょうの佳き日に生まれ変わらん」との神示を表され、一人一人が自分の生き方を反省し、心新たに仕合せへのスタートを切ったのです。それから30年余り。参拝に、学びに、儀式に…と、偉光会館を活用して、どれほど救われてきたか知れません。
この地の人々にとって、掛け替えのない“心のよりどころ”として根付いてきた神所。このたび、子へ、孫へと、次代につないでいくための改築工事が決まり、2月18日、教主正使者供丸光先生による「建設用地清めの儀」と「信者勉強会」が執り行われました。
生まれ変わる大切な機会と受け止めて
新たな神門と建物が建つのは、既存の施設に程近い土地。朝からの小雨がやみ、空には優しい色の虹が懸かり、清めの儀の開始を待つ参列者は、歴史的な瞬間に立ち会える感謝と期待で胸を高鳴らせています。その時、雲間からパアーッと差し込んだ太陽の光。次代への幕開けを祝うかのような光景から、まばゆいばかりの神の力に包まれ、明るく開けていく未来を感じた人も多いことでしょう。儀式では、神の使い人である供丸光先生が、神に祈願し、隅々まで丁寧に土地を清めてくださいました。その場の空気が清らかになっていくのを感じる人、これまで救われてきた感謝で胸がいっぱいになる人、清い偉光会館を頂くのにふさわしい心になろうと決意を新たにする人…。いろいろな思いが込み上げました。
「改築に向けての信者勉強会」この名称で始まった行事で、まず供丸光先生が語られたのは、「改築」の意味。工事の期間は、新たな建物の建設が行われるだけでなく、「神に向ける思いをもっと見詰めて、深める時」との言葉を、出席者はしっかりと受け止めました。そして、なぜ改築が今なのか、神の教えを学ぶ心が深まって、どんな変化が生まれているのか、新たな偉光会館の完成までに意識することは何かを、神示を基にお教えくださいました。
この地に根深くある「孤独の色」。身勝手にならず、相手の心を大切にすれば、人との関わりの中から仕合せを味わえます。それを共にするのが家族。偉光会館に出入りする目的は、“「『真理』で重なる家庭を築く」ため”と言われる一言が、心に強く響いた人も多いはず。父として、母としての任を果たし、何かと感謝したり、失敗も打ち明けたり…、何でも話せる家庭をつくる大切さを確認しました。
「生き方が違っていた」「ここから頑張ろう」それぞれに芽生えた気付きこそ、自分や家族の仕合せ・幸福、ひいては子孫につながる道を磨いていく一歩。偉光会館がもっと救われる環境へと高まるスタートに当たり、一人一人の心も生まれ変わろうと歩み出しました。
新生に向かって心も生き方も磨く!
偉光会館の新たな歴史を刻む日に立ち会った人々は、誰もが心も表情も晴れやかに。目指す姿が定まり、希望に満ちあふれる思いを口々に語っています。
「『奉仕の心』とは、人に温かい関心を持つこと。だから、触れ方も柔らかいし、話もじっくり聞ける…と、心の交流の大切さがつかめました。実際の自分は、意に沿わないと避けたり、目をそらしたりすることも…。神がこの地の実体と言われる『孤独の色』は私のこと。絶対、修正できるように、生き方を改めて、新生にふさわしい自分に生まれ変わります!」
「夫も私も我が強いので、夫婦げんかもしばしば。でも、素直に反省できたり、すぐに謝れたりするのは、お互いに神の教えを学んでいるおかげ。商売が大変だった時期もありますが、それも、家族の心が一つになる機会となりました。縁のある方々にも、こうした喜びを味わってほしい。たくさん救っていただいた自分だから、胸を張って、力強く、『教えがあれば大丈夫!』と語っていくことを、神に誓いました」
「改築が、偉光会館を次代につなぐため、我が家の仕合せ・幸福を次代につなぐため…と聞いて、神はそこまで救ってくださるのか…と驚きました。子供も信者ですが、神の教えを生かしきれていません。まずは自分が教えを実践して、家の中を明るく温かく…。何でも話せる家族を目指します」
神の実在と愛を心でしっかり受け止めて、誰もが誓った「新生」への思い。静岡焼津の人たちは、令和7年春、新たな神所が完成するまで、今ある偉光会館にこれまで以上に足を運び、自分の生き方を磨いていこうと意欲満々です。
工事をするのは静岡焼津偉光会館でも、神が救世環境を引き上げようとされるこの上昇気流に乗れば、自分自身の生き方も必ず高まります。大切なのは、教えに生きる自分へと生まれ変わる意識を持つこと。神の教えを学ぶ全員で「新生」し、仕合せ・幸福を我が物としていきましょう。
「建設用地清めの儀」の神示(儀式中に表された神示は、「菜の花ひろば」でご確認いただけます)