視力と最愛の妹、作曲家としての未来も失った末に得た、奇跡の日々

(東京都YK/50代女性/作曲家)

 

我が家は、家族中で信者籍を置き、36年になります。それなりに教えを学んできましたが、長い冬眠から目覚めたのは、30年目の出来事からでした。突然、私が視覚障害となり、半年後、最愛の妹が16年の闘病を終えて心の世界に旅立った時です。形で見れば、どうして…と思われるかもしれません。しかし、これを通して私たちは、どれほど大きな神の愛に包まれ、守られているかに気付くことができたのです。

 

突然の視覚障害に、現実を受け止められず…

音楽大学で作曲を専攻した私は、神に導かれるように作曲家として活動し始めました。作品が海外の音楽祭で披露されたり、世界的アーティストに演奏してもらえたり、作品が収録されたCDが文化庁芸術祭参加作品に選ばれたりと、驚くような喜びをたくさん味わわせていただきました。そのように作曲家としての第一歩を踏み出した矢先、自分が白杖を持つ身になる現実は、なかなか受け止められませんでした。

 

妹の終末に神の愛を感じて

妹は、がんの末期で、生きていることが奇跡と言われながら、視覚障害になった私を気遣い、「手をつないで歩いてあげたいのに、ごめんね」と、泣きながら案じてくれました。残された時間が長くないと宣告された時、家族の心が明るく、強く、穏やかにいることで、妹の魂も安定すると心に留めて、有限の時をとにかく安らかに過ごせるように努めました。その結果、妹は、大きなことをやり遂げ、満足しきったようなほほ笑みを浮かべて、まさに神がお迎えに来てくださるとはこのことか…と思える最期を迎えました。妹の魂が神の大きな愛に包まれた感触は、悲しいのに、うれしいとさえ感じられた瞬間でした。

 

障害のある仲間たちの明るさ、温かさに、湧き上がる勇気

生活が落ち着き、私は初めて神総本部で障害者対象の授業、「供の会」に参加いたしました。供の会は、供丸姫先生(大山命直々使者)が、体に不自由さがあっても、平等に運命を生かせるように開いてくださったものと知ってはいました。しかし、私は上から目線で、供の会の人たちはかわいそう、きっとつらいだろう…と思っておりました。ところが、教室に足を踏み入れた途端、談笑する明るい声が響き渡り、想像とのギャップに驚きました。みんながあまりに楽しそうに学び、前のめりに全てを吸収する貪欲さに感動いたしました。会の終わりに私が、「初めて参加しましたが、まだ現実を受け止められません」と泣きながら自己紹介すると、皆さまが集まってきて、手を取りながら、「みんな最初は同じだったよ。気持ちはよく分かる。でも、神が付いていてくださるから大丈夫。これから一緒に学んでいきましょう」と声を掛けてくれる温かさに、心から勇気をもらいました。

 

教えを学び直し、心が変わると、思いがけない展開に!

それからというもの、私は教えを学ぶことが心から楽しくなりました。ご神示を繰り返し学ぶと、神が言われる言葉の奥まで読み取ろうとしていなかったことに気付きました。教えを自分に都合よく捉えていたことに気付き、家族中で学び直して、悔いのない人生を送り、神にご恩返ししたいという気持ちが湧き上がりました。
心が変わると、数多くの変化がありました。作曲は諦めていた私ですが、ピアノ初心者に向けた曲集制作に応募したところ採用され、楽譜が店頭に並びました。出版コンサートでは、自分で演奏もできました。親、先祖から受け継ぐ弱いものがあっても、神から授かった良さを生かすことを、神はお教えくださいます。確実に救っていただけるこの環境の中、私も自分自身の良さを惜しみなく発揮し、悔いのない人生を歩み抜きたいと思っております。