第10回 「運命」とは何か?
第10回 「運命」とは何か?

大山命の役目は…

我が国には古くから、神ではなく「神々」と、生きる文化が存在します。
太陽の神、水の神、秋の五穀豊穣には、祭りと称して神に感謝を捧げる行事が各地に。
自然は時に牙をヒトに向けますが、自然によって生かされてもきたのがワタシども。
かつて祖母に言われ続けた「ほらもったいない」「感謝が足らん」。今になって言葉の深さが分かるのは、ワタシも年を取ったのだと思います。

天地八百万といわれる神々の中、大山命が持たれる役目は、命それぞれに「運命」という役割を与えること。
この神の名を世に示し、広められたのが、当教会の創設者たる供丸斎先生。
「『神が居るなら証明してみろ』、あなたの顔に書いてあるのが、わしには見えるよ」。
地道に一人、そして一人と…、過去を見破り、未来を予言し、「運命」牛耳る神の名が広まり始めた。時は昭和30年を過ぎた頃、これが当教会の幕開けであり、始まりでした。

 

さて、ここ数年間。あらため神が、声も大に説いているのが「運命」です。
先の一月、発行された『友輪』の神示、解析するなら、
「運命」という存在が、何より自分の人生を守る、守り神のようなもの――
見えざる「運命」だけれども、確かにこの世に存在している――
一人一人に神が与えた、それは大きな力である――
こういうことです。

読むと分かった気もするけれど、読むほど難儀に思える解析…。日本語って、深いからこそ難しい。
某、分厚い辞書を開いてみると…「人間の意志にかかわりなく、身の上に巡ってくる吉凶禍福。巡り合わせ。運命として決まっているかのように思われること」とありました。
コラムのテーマは、運命って何? 原点に返って考えてみたいと思います。

 

人の数だけ異なるもの

かつて直使は、ご講話の中で
逆さにすると、「命を運ぶ」ものが「運命」。
命と共にあるものだから、まさに「今生」。この世に自分と共にある。
死んでしまったなら意味をなさない、それが「運命」。自分そのもの、それが「運命」。
全て形あるものは、どこかで壊れる日が来ます。ほとんどの物は、代用品が見つかるでしょうが、あなたの代わりはどこにもいない!
世界中を探しても、どれほど待っても、あなたの代わりはどこにもいない。これが、あなたが持っている価値。
「自分自身」それが「運命」。
「我が運命を、磨き、輝かせる意味がここにあるのです」、こう話を締められました。

 

人の数だけ異なる個性がありますが、とても不思議な思いがします。
「オギャア」と生まれた赤ちゃんの、性格、本質、見えてくるのは、教えどおりに「七五三」を迎えるころ。
サザエさん家をイメージしましょう。
優しいのは母さん似、真面目さは父さん似。
悪い部分も受け継ぐようで、早とちりは母さんで、散らかし放しは父さん似。
「怒った顔は、波平じいさんそっくりだ(笑)」、顔形も受け継がれますが、「生命(いのち)」としては皆異なるもの。

 

運命の開き方を知って

異なる種別の「生命」が、時にケンカし、仲直り。家族と暮らしているのが人間。
これまた神の教えのとおり、どれほど我が子がかわいそうでも、「親の力で子を守れるのは、15歳まで――」。
カツオも、ワカメも、タラちゃんも、嫌でも自分の「運命」背負って、社会に一人、旅立つ日が来るのです。
人の数だけ異なる個性。これを「運命・因縁」と称して、はるか昔、供丸斎先生は、こう解析されました。

「運命」とは、自分を包む箱のようなものである。
「俺を包む箱など要らない」。あなたの顔には、わしへの文句が書いてあるが、生涯あなたと共にあるのは「男性の箱」。我が手に幸を得るために、女の箱には変わらぬ真理を、知った努力であってほしい。
隣の箱は頑丈で、屋根から落ちても壊れないけど、あなたの箱はガタガタで、水を入れたら漏れてゆく。そこに文句ばかり言うから、あなたは幸を逃がしてしまう。いくつか穴を開けてごらんよ。ざるのように活躍できる、それが開運、あなたの運が開いた証拠。
自分だけが持っている良さ、与えてくれた神(心の親)に、先祖(体の親)に、感謝を忘れちゃいけないよ。

 

運命=逃れられない一本の線路、このイメージはポイと捨てちゃう。
対岸がかすんで見えぬほどの大河のように、どこどこまでも、幅の広い線路。これが自分の運命が持っている幅。同じ自分のようでいて、まるで異なる自分となれる。
「だから磨いて、光ってほしい」、世代を超えて、使者が説いてる、理由がここに尽きるのです。
誰もが「代わりの利かない存在」、「運命実体異なるところに、まことの平等社会が生まれる」、とてもステキな神の教えの一節。
つらい時、苦しいほどに、ジブンへの誇り、愛着、高めてまいりましょう。