当教会には幾種類もの奉仕の場があり、これらが文化と根付いているのが特徴です。
例えば清掃。例えば誘導。過去に返ればご神前の改修などなど、技術を持たれる方の集いもありました。
年齢、性別、特技、職業問わずして、共に汗を流す文化がつくられたのが、神総本部前身となる宮元分教所。
時は昭和の終わりごろ、分教所長は直使。懐かしい思い出の数々があります。
時代と共に、奉仕する場所、カタチは変わってゆきますが…、
決して変わらぬ「軸」たる部分、変えてはならない「ココロ」の部分があるのです――語られたのは、文化をつくったその直使。
――金子(きんす)を積んでも手には入(い)らない。それが真心。
――心をどう使ったか? この積み重ねが自分の人生をつくるのです。
――人から恩を借りた総量、人へと恩を返した分量。この差し引きが、晩年手に入(い)る幸福量。
だからいつも“どんな心で”。それを大事にしてほしい。
さて、先日の係就任式。
誰かのために、惜しまず使ったココロの数々。
それが幾倍もに返り、自分を引き上げてくれたうれしさ、代表からの挨拶がありました。
きょうのコラムはその式典に、向けて神が表した、言葉の共有です。
「人間は一人で生きてはゆけぬ」、誰もが知っていながらも…二人そろえば誤解、もめ事、必ず生じてしまうもの。
その時ヒトはどうするでしょうか?
二度と会わない、サヨナラです。
顔だけにっこり、友達のふり。
そして直使が願っていたのは、本音で触れなきゃ実現しない、本当の「縁(えにし)」。
――雨降って、地固まる、です。
誰かが悩み、苦しんでいると聞くと、黙ってはいられなかった方、それが直使。この店に、客の足が戻るよう、人をもって救いの手を差し伸べてほしい…。ご主人に代わり、神に願いを届けたこともありました。
翌朝のこと。
「光(みち)が通らず、困り果てているのです」と直使。
代わりに頼んでみたものの、神が首を縦には振らない。これが、「光(みち)が通らず」の意味。「この人を助けてあげたい」と、神の心が動かぬ理由が、どこかに隠れているはずなのです。
荒れたココロの奥底にある――、強い言葉の裏にある――、止まらぬ涙で見えなくなってるココロの奥にあるココロ。それが苦しい、助けてほしい。
誰もが信者と籍を置かれた当日、願っていられたはずの幸。
悩みが悩みのままで終わらぬ、そんな明日が来るように、手を差し伸べてほしいのです。
「人生の真理」基なすものは 心(運命実体)で回る この世(社会)の姿
「人生の真理」基なすものは
心(運命実体)で回る
この世(社会)の姿
あまりに政治や経済が、うまく回らぬ、それが現代。政府が悪いとクーデターが起こる国。日本にとってこれで良かったのでしょうか。くるくる総理が代わり続けたのが平成。バンバンお札を印刷し、ようやくここまで上がった株価。「ありがたい」と思いながらも、上った株価がどこかではじけてガタ落ちするを、歴史と誰もが知っています。
これらは確かに人の社会の中心にあり、社会を回しているけれど。一番「基(もとい)」の部分において、社会を回しているのが心。
「ココロでこの世が回っているなら」
ココロを磨くそのことが、広いココロになることが、強いココロになることが、いかに我が身を光らせるのか? これを神が説いています。
神が 世(社会)に示す「教え」
「信者なら良い人になりましょう――」言ってるワケじゃないんです。
教えを社会に示す理由は、ここに尽きます。
モノを見たとき、ココロがどう動いたか? 動いた方向、ままに未来が定まりゆくのが、人の社会の仕組みです。
同じモノを見ながらも、「あいつばっかり」とひがみ根性。「どうせ俺は」と怒りのココロ。「おめでとう」と、我が事以上に喜ぶのもヒト。
どう自分のココロが動けば、自分の未来に幸が来るのか? 感情ではない、神の教えに照らし合わせて、選択をしてほしいのです。ストレスあふれる現代社会、抑えられない感情で、人生枯らしている方ばかり。
家族で学ぶ努力
モノを見たとき、ココロがどう動くのか?
この正体は、損得、人情、善悪などなど、「何を自分は大事にするか」という価値観です。
学校や塾では、身に付けられない種類の教育。家庭の中で気付かぬうちに刷り込まれるもの――。
これらが正しく、親から子、孫と、伝承されてゆく家族。金子ではない、まさに相続。
「輝光(ひかり)」と表されたのは直使。
「人の上に立てる良き因、『得徳(えとく)』と神も表されました」。
係の任と立場に悟りを深め 「真理」に生きる我を目指せよ
「希望の光(みち)」を通す心の姿が見えてきて 開運かなう人生が始まってゆく
係の任と立場に悟りを深め
「真理」に生きる我を目指せよ
「希望の光(みち)」を通す心の姿が
見えてきて
開運かなう人生が始まってゆく
一番自分を守ってくれる、それが自分の輝く姿――、神はこうも表されました。
誰かのお役に立てた事実が、幾倍もとなり、どこかで自分を守ってくれる。
「この事実があることを、胸を張って、縁ある人に伝えたい」。涙ながらに語られた、係の方々の門出。
感動のひととき。
こうした真心を「裏切っちゃいかん」、ココロからそう思います。
※文中の神示は、令和3年5月23日 係就任式(本コラムでは抜粋)