見えないけれど実在していて、ワタシら人とおんなじように、ココロを持っているのが神様。そんな事実を知ったのは、不思議なご神示を見つけた時のことでした。
日付は昭和51年。神の世界に戻られた、無人の直使室に残されていたもの。
神 示
神の心とはいかなるものかを 説き教える
人間は 姿 形無き神には 心も無いものと思っていられるが
神には 神の心があるのである
神の心とは いかなるものか
神の心とは 人間と同じように 神そのものであり 神の魂である
人間と違うところは 人間界では 我が身かばうがゆえに
相手を責め 憎み 苦しむ
神には このような喜怒哀楽の感情はないのである 我が身かわいさもないのである
――神の御心 温かきもの 神の御心 無垢(むく)の心――
神 示
神の心とはいかなるものかを
説き教える
人間は 姿 形無き神には
心も無いものと思っていられるが
神には 神の心があるのである
神の心とは いかなるものか
神の心とは 人間と同じように
神そのものであり 神の魂である
人間と違うところは
人間界では
我が身かばうがゆえに
相手を責め 憎み 苦しむ
神には
このような喜怒哀楽の感情は
ないのである
我が身かわいさもないのである
――神の御心 温かきもの
神の御心 無垢(むく)の心――
(中略あり)
神示が意味するもの、こんなイメージです。
体がないから、ワクチン打っても「痛い」のココロが起きないココロ。生活するに「モノ」がまるで必要ないから、お金にこだわることもない。しかし、ワタシら人間を我が子のように見詰めていられ、「何とふびんな」「どうにかかなえてあげたい」と、動くココロが存在している。
東大合格、就職斡旋(あっせん)、心願成就。
願った結果が出ないとき、「カミサマなんているものか」。誰もの心によぎるでしょうが、「かなわぬ理由が必ず存在している」と述べたのは直使。
驚くほどに深い情、それが直使のお人柄でした。
しかしその正体は、人のココロを守る神。その名「大山命・古生童子直使の御魂」、全てを見通していられた目。
そば付きをさせていただいた秘書時代、忘れられない不思議な出来事でした。
長きにわたり子息の悩みを抱えておられた方に…
「かわいそうと思うけれど、因があっての今なのです」と、神のココロが見ていた世界。
神 示
過去を振り返り 我が心根の親不孝 一つ一つをわびてみたまえ
目の前開(ひら)けて 我が世の春がやって来る
長い間の親への感謝 先祖に対する感謝の心根 欠ける道(人生)来た我が実体に
家庭崩壊 苦しみが生ずる
神 示
過去を振り返り 我が心根の親不孝
一つ一つをわびてみたまえ
目の前開(ひら)けて
我が世の春がやって来る
長い間の親への感謝
先祖に対する感謝の心根
欠ける道(人生)来た我が実体に
家庭崩壊 苦しみが生ずる
(中略あり)
仕事の悩みが絶えない方に…
「人をもって神が助けていることを、どうか気付いてほしいのです」と。
神 示
仕事の悩み 神から申せば 好む好まぬ わがまま言わずに 縁あるものを受けるが得策
えり好みすれば そこに必ず苦しみが伴う
長く続けば不満が残り 満足するなら長くは続かん
得られた仕事に不満を申さず 誠意尽くし 汗水嫌わず 働くことなり
人をもって神は助ける
「生きがいあふれる仕事を」と 真心込めて祈願されたし
神 示
仕事の悩み 神から申せば
好む好まぬ わがまま言わずに
縁あるものを受けるが得策
えり好みすれば
そこに必ず苦しみが伴う
長く続けば不満が残り
満足するなら長くは続かん
得られた仕事に不満を申さず
誠意尽くし 汗水嫌わず
働くことなり
人をもって神は助ける
「生きがいあふれる仕事を」と
真心込めて祈願されたし
(中略あり)
長きにわたり、癒えない病を抱えた方に…
「見えない心に病の根がある。そこに気付けば大丈夫」、ほほ笑みながら話された。
神 示
心配要らない この病
体の芯が冷えきって 病の芽が出る
冷えは心の寂しさから よって 不眠を引き起こす
この病に嘆きは禁物
明るい心で暮らせるように 朝に夕に 折あるごとに 祈願されたし
試してごらん 神は守る
しばしの辛抱 道を越えてゆかん
神 示
心配要らない この病
体の芯が冷えきって 病の芽が出る
冷えは心の寂しさから
よって 不眠を引き起こす
この病に嘆きは禁物
明るい心で暮らせるように
朝に夕に 折あるごとに
祈願されたし
試してごらん 神は守る
しばしの辛抱 道を越えてゆかん
(中略あり)
予期しなかった出来事に、大きく揺れる、のがココロ。だから忘れちゃならぬのが、揺らいだココロが、一番大事な、今すべきこと、それを見えなくする怖さ。
神が今の社会を見渡し、まことが見えなくなってる危うさ、説いてるように思うんです。
国を超えて起きている、社会の分断、政治や経済不信がそのこと。小さな不安が、次は不満と成り変わり、最後は爆発するのが世論。抑えられない感情に、ココロがのまれたその瞬間、自分自身の大事なことを見失う。
大事なことが見えるジブンであるために、忘れちゃならぬ、心を大きく育てる重要さ。先の神示の続きには、「人間の心の大きさについて教える」とありました。
神 示
人間の心の大きさは 人には 計れないのである
しかし 計れなくても 大きさはあることを 知ってほしい
神は申す
心の大きい人間は 人の言葉に動じないのである
また 自分の感情に流されないのである
人の動きや言葉に負けて くよくよ悩んだり 苦しんだりする人間は
心の小さい人間である
心広きは 尊いものである
人間は なかなか心の広い人間に なれないのである
感情に溺れ 欲に負け 先を考え 過去に引きずられる
これが普通の人間である
神 示
人間の心の大きさは
人には 計れないのである
しかし 計れなくても
大きさはあることを 知ってほしい
神は申す
心の大きい人間は
人の言葉に動じないのである
また
自分の感情に流されないのである
人の動きや言葉に負けて
くよくよ悩んだり
苦しんだりする人間は
心の小さい人間である
心広きは 尊いものである
人間は なかなか心の広い人間に
なれないのである
感情に溺れ 欲に負け
先を考え 過去に引きずられる
これが普通の人間である
(中略あり)
最後にココロの正体の、答え合わせをしてみましょう。
覚えようとしなければ、テストは赤点、これが「漢字の書き取り」です。
「こたつ」でゴロゴロ寝ていても、決して身には付かない「筋肉」。
大きなココロも同様で、育てる努力をしなくては、いついつまでも小さなまんま。
大きなココロに備わっている、相手のココロが見える能力、それが「他者愛」。人の数だけ異なる価値観にあふれた社会を、悩まず明るく渡るために、欠くことならないココロなのだと思います。
何でもありな世論の中で、何がジブンに重要で、何がどうでもよいことなのか? それが見える、大きなココロを育てることが、ワタクシどものことしの目標、共に歩いてまいりましょう。なぜならここは、人の心を守る役目の神がつくられた、この世に唯一、心を変えてくれる環境そのものだから。