人の世の中 心で回る
この神の教えを考えてみましょう。

 

時代も国境も超えるもの

今、どれほど価値があろうとも、時代の変化で通用しなくなるものがあります。
例えばお札。ここにあるのは額面10銭。大事なものと先祖代々蔵にしまっておいた宝物です。100年の時を経て、使ってみようと思ってみても、飲み物一つ、買うことすら不可能です。他国であったら無銭飲食、銃を持った警察官を呼ばれるかもしれません。

その一方、ドラえもんの未来になっても、石器時代にさかのぼろうとも、通用するものがあります。
例えばココロ。
くしゃくしゃになって笑う母さん、鬼のように目をつり上げて怒る上司、お漏らしして泣き叫ぶ赤ちゃん。国を超えて通用するもの、「表情」は、ココロが形となったものかと思います。
心とは、トランプさんの国も、プーチンさんの国も、私たち日本人にも共通する普遍さを持つもの。だから日々の心遣いを軽んじてはならないのです。

ある脳科学者の文献に、“この地球上で笑うことができるのは人間だけである――”とありました。
鳥のように飛べないけれど、魚のように泳ぎ続けられないけれども、人間だけに神が与えてくださった、類いまれなる高い能力。これが「ココロの正体」なのです。金魚がにっこり笑ってみたなら怖いでしょ? これは冗談。

 

見えないけれど存在する

私たちが身を置く社会、その領域の大半は、経済活動にひもづけられて回っています。
物には基本、価値に合わせて値段が付いていて、持っているお金で売買できる。それは便利な社会の仕組みが、人間界の軸と存在しています。

その一方で、社会を回す軸ながら、目には見えないものがあります。見えないけれど価値があり、これらによって私たちは生かされている。
例えば空気、「ただ」ですが、1,000万円のダイヤより、はるかに大きな価値があるもの。電気もそう。見えないけれども実在しています。何とも言えない、真冬に浴びた陽の光の暖かさ。この正体が赤外線。
「人には見えない領域」を次々見える化したのが科学。近い将来、ココロの正体そのものも、証明されるのだと思います。

 

幸を手にする近道は…

先に、人の表情は、見えないココロが形として見える化されたものと申しました。言うならココロは、人の正体そのものです。今のココロが行動を決め、この行動が、そのまま結果と、未来をつくる――これが真理とこの世に存在するからです。

だから、相手のココロが見える自分となることが、幸を手にする近道なのです。
例えば、あまり器用ではない母親。きのうの弁当はこげていて、きょうのは箸が入っていません…。カタチで言えば“失敗作”の弁当。これを手にしたその時に、文句を言うのも自分のココロ。「自分のために早起きして作ってくれた」と感謝をするのもココロです。
母の愛という、見えないものが見えているか、見えていないか――。その差が人の未来を変える、確実に!

たかが弁当、されど弁当。
神の「教え」に生きる価値が、ここにあります。