人生を分ける心の動き

前回、途中で字数制限に達してしまいましたので、その続きのところから。「清浄」という儀式の意味を見詰めてみたいと思います。

「真理」に生きる我を目指せよ 
 知識があふれ 「思い」のまれて日々生きるゆえに
    心の安定を欠き 人との出会いが深まらないのである
縁が生かせぬ我ゆえに 「心」不安に襲われる
 人との出会いを大切にされよ
 「真理」に出会いを生かす答えがある
 「真理」に生きるほど 恐れ おびえる心は消えてゆく
神の教えを学び 「祈願」重ねて 我が心の動きを安定させる
 自然と 人との出会いが生きてきて 今なすべきことに思いが向かう
 「心」流れて 奇跡に救われてゆくのである

 

「真理」に生きる我を目指せよ 
 知識があふれ
 「思い」のまれて日々生きるゆえに
    心の安定を欠き
      人との出会いが
        深まらないのである
縁が生かせぬ我ゆえに
    「心」不安に襲われる
 人との出会いを大切にされよ
 「真理」に出会いを生かす答えがある
 「真理」に生きるほど
    恐れ おびえる心は消えてゆく
神の教えを学び 「祈願」重ねて
    我が心の動きを安定させる
 自然と 人との出会いが生きてきて
    今なすべきことに思いが向かう
 「心」流れて
    奇跡に救われてゆくのである

「真理」に生きる我を目指せよと、1行目から何だか難解に思える表現です。
しかし、神の教えを「難しい」と捉えたら、まず心に入ってはこなくなります。そこで、イメージ共有です。
幸不幸は、偶然訪れるものではなく、一つの仕組みによっての結果――という教えがあります。日々の左右の分かれ道、「そのときどちらを選ぶのか? それがワタシの未来を決める!」この現実には、誰もが納得するはずです。「どこの国でも、どんな時代も共通の、ルールが存在している」のです。これが「仕組み」。わずか一瞬、ココロが動いた方向に、未来は定まり、固定化します。どの国、どの時代に生まれようとも決して変わらぬことだから、心の隅に留め置いてほしいのです。

身近な事例を挙げるなら…。
「何を食べよう?」「予算はいくら?」。これはきょうのランチの話で、日々の小さな選択です。会社でつらいことがあり、「それでも頑張り、働くか?」「それとも転職、まるで別の道を行くのか?」…とても大きな選択もあります。友とケンカをしたときに、「そのまま別れとなる」のもココロ。「雨降って地固まる」、本当の友をつくるのも、全てココロが源流なのです。
ですから、ココロがどう動いたか? 
怒る前にも一呼吸、落ち込みながらも冷静に、外から自分のココロを見詰めてみる。それが、自分の未来を変えます。
かつて直使も、心の神に何を願って、どう頼んだらよろしいか? 関わり方を説かれたことがありました。「魚屋さんで、野菜を下さい」とまるで同様。だから手に入るはずの守護、奇跡が逃げてしまうのです、と、涙ながらに話されました。

 

何を人生のモノサシに?

私たちの心とは、常に周りの影響を受け、変わり続けるものとも言えます。「軸」とは言えない時代の流行、決して「軸」とはなり得ない、「好き」「嫌い」の感情もそう。多くの人が、その場の感情そのままに、大事な判断を下しているのが、今の社会とも言えるでしょう。

辞書で「真理」を調べてみると、いつ、どんなときでも変わることない正しい道理、とありました。「いつも正しい判断の軸、持っていられる人の姿」なのでしょう。イメージするなら、義理堅いとか、「損か得」だけでない、別のモノサシを持っているとか。「素直」「誠実」、これらもそう。不思議と自分が引き上げられます。
これこそが、「道を守りて 光(みち)が通る」――守護と奇跡の正体です。

 

また字数がいっぱいに。続きは次回のコラムにて。