(宮城県EK/70代女性/ブティック経営)
ご守護の中で心が折れずに
自然の猛威を前に、何もできない私たち。大地震から息つく間もなく、巨大な津波に襲われて、気付けば町全体が壊滅状態になっていました。
家族は何とか高台に逃れたものの、実家は1階の天井まで津波が押し寄せて全壊。命を落とした遠縁、知人も数知れません。
地獄のような惨状に、「何もかもなくしてしまった…」と思いました。それでも、心が折れずにいられたのは、昭和57年に信者と籍を置いて以来、幾度も救われてきた体験があったから。祈願という、神とのつながり。苦しい思いを神に語ることで、どんなときも強い心へと立て直してこられたのです。
ひたすら温かく声を掛けて
「皆で力を合わせ、頑張るしかない」不思議とそう思えたのは、神の教えがあったおかげ。誰もが絶望と不安でいっぱい。こうした周りの方々に、少しでも前を向いてほしいと、「命が守られて、ありがたかったね」「困ったことがあれば何でも言ってね」と声を掛け続けました。人は、支え合うことしかできません。でも、支え合うことがどれだけ大切か…、痛切に感じたからです。
私の経営するブティックは、ビルの2階。襲ってきた津波は、何とその入り口部分で止まっていました。店内には物が散乱していても、商品は無事。「自分にできることって何だろう?」自然と、津波に何もかも流された方々に、店の服を上から下までコーディネイトして提供していました。着の身着のままだった方たちが、「ありがたい」と言っては、涙、涙。苦しい中にも笑顔が戻って、何よりうれしく思いました。
心配して連絡をくれたメーカー各社の方々から、「自分たちにもぜひ支援させてください」との申し出。倉庫に眠っている品物をどんどんと送ってくれました。気が付くと、大きく広がっていた優しさの輪。どんなにありがたかったか知れません。
偉光会館に行くと安心感が
道路が通じてからは、気仙沼から古川にある偉光会館まで、山を越えたり、海辺を通ったり。通常の倍もの時間をかけて、信者仲間と共に足を運びました。
どこまでも温かく迎えてくださる偉光会館。到着すると、ただただ涙がこぼれたのは、心底ほっとできたから。
神につながり、空気が一変
発災からわずか一カ月後に、宮城偉光会館で行われた「明魂祭」。津波にのまれた方々の魂を救い、被災した一人一人の心に生きる力を与えるこの儀式。偉光会館は、数千人の信者で埋め尽くされ、みんなで、「よく無事だったね」「お守りいただいたね」と、涙で抱き合いました。
そして、教主正使者供丸光先生が儀式を執行されて、神に思いをおつなぎくださると、重苦しかった空気が一変。一人一人の顔が見事にパーッと明るくなったのは、神の実在そのものでした。
この日から心が変わった!
その後も、「祈願していたら、津波に流された家族が見つかって…」「不安だらけだった思いがきれいに流れた」などの声が。次々に届く、気持ちが明るくなるような話に、神のお力を感じた次第です。
私自身、もともと積極的な性格ではありましたが、周りを見ずに突っ走ることがなくなりました。困っている人がいれば、冷静に相手の気持ちに配慮しながら、できることを精いっぱい。心が大人になった気分です。
新生の時に新たな誓いを
何度も何度も足を運んでは、祈願で心を立て直した偉光会館。一人一人の心が元気になり、明るくなって、町や道路もきれいに住みよく変わりました。
絶望のどん底を味わったからこそ、心から笑える今を迎えて、まさに「心の復興」がかなったと言える奇跡。あの「3月11日」の前の日に偉光会館が新生するとは、何とすてきな神からのプレゼントでしょうか。
神示があればこそ、確かな指針が得られる神示教会。これからは、気持ちも新たに、ますます神示を学び、教えを基に真っすぐ生きていこうと、心に強く誓っています。