神、仏へのご挨拶

 

神に願う一番大切なものは「心の救い」

神総本部には、神を祭る光明殿(こうみょうでん)と、故人・先祖の魂を祭る安明殿(あんみょうでん)があり、この施設に準ずるものとして、ご自宅にも御神居(ごしんきょ/神棚)と安寿居(あんじゅきょ/仏壇)をしつらえることをお勧めしています。
御神居には、大山命の御魂が封じ込められた御神体をお祭りし、毎日朝夕、神へのご挨拶、そして事有るごとに祈願します。朝は、一日穏やかな気持ちで過ごせるように、また神の教えに沿った生き方ができるように祈願します。夕方はその日を振り返り、心を守られた御礼や気付いたことを語り、安定した心を願います。

祈願というと、日本には古くから、家内安全、商売繁盛、心願成就などを神に願う文化がありますが、大山命に願うのは、「心の救い」です。人の心は、人の言動や事象によって、不安や不満、焦りや迷いが生じるなど、揺れ動きます。そうした思いは、いち早く流して、安定した心へと立て直すことが重要です。神が表される教えに沿って、正しい心の動きが取れるように神に願いましょう。神は、思いの全てを受け止めてくださいますから、御神体を通してお届けすることが大切です。そこに、神の力によって、気持ちが明るくなったり、強くなったり…という心の変化を通して、神の実在を体感していけます。

神のご存在を感じる「御神体」

五感を持って生きる人間は、形があることで、より強く神を意識できます。神を感じ、祈願の心を深いものとするために神の分魂が封じ込められたのが、御神体です。御神体には、3つの形態があり、それぞれの持つ力は違います。

御神居用御神体
人は、同じ家系の心の道に、繰り返し生まれてきます。自宅で、家族が共に手を合わせるこの御神体には、現実を感謝の心で受け止めて、家人それぞれが自分の立場をわきまえ、正しく関わりを深めていく心が引き出されるように、神の力が込められています。

個人用御神体
感情を安定させる力が引き出されるように、神の力が込められています。いつも携帯することで、感情に流されない、安定した心でいられます。落ち込んだり、焦ったり、緊張したりなどと、生活の中でさまざまに揺れるたびに、御神体を通して今の思いを神に語ります。そこに、ますます心が安定していきます。

乗り物用御神体
乱れた心は、事故や災難を呼び込みます。そのため、心を落ち着かせて運転できるように、神の力が込められています。また、運転中にも神を意識できるので、さらに道を守る心が引き出され、安全も保てます。

神の力が封じ込められて、体(たい)を成したのが「御神体」です。神に思いを届けるための、尊いものなのです。

穏やかな心こそ、人生全ての仕合せにつながる

進学、就職、結婚…、人生における全ての選択は、私たちの心の動いた方向で決まり、それによって、幸、不幸が、自然と分かれていきます。心がどう動くかは、それほど重要なことです。神の教えを支えにして生きていくと、心は穏やかでいられます。ですから、人生のどの局面においても、神が導いてくださる最善の心の動きを、ますます取ることができます。
しかも、心の動きは一時の問題ではなく、健康や寿命にまでも影響します。「穏やかな心」が保てれば、人生全てに仕合せを感じられるのです。
しかし、心は自分のものであるにもかかわらず、怒り一つ、自分では抑えることができず、悲しみ一つ、自分で消すこともできません。自由にならないからこそ、時に取り返しのつかない事態を引き起こしてしまうこともあります。気持ちが揺れないよう、神にお守りいただき、苦しい状態から救っていただくことで、人間の心は一層安定し、「穏やかな人生」を歩み抜けるのです。

 

故人、先祖には願い求めず、安心感を届けて

安寿居に祭るものは、故人の心の世界のお名前が刻まれた信枠(しんわく/位牌)です。そこには、信子(しんし/戒名)が刻まれます。お祭りはしますが、故人、先祖は、願い求める対象ではありません。これは、とても大切なことです。
肉体がなくなり、魂だけになった故人が願うのは、残された家族の仕合せだけです。つらい思いは神に訴え、故人、先祖には、神に心守られて暮らす姿を届けましょう。そこに、故人、先祖の魂は安らぎ、まことの先祖供養がかないます。仕合せに暮らす家族の姿を伝えることが、神示教会の教えでいう「仏の道を守る」ことなのです。