神が自ら降臨され、救いの手だてを確立するに当たり、まずその土台を築くことを託されたのが、供丸斎先生でした。大山命の実在を初めてこの世に示し、救世の門戸を開かれたお方です。誰も大山命のご存在を知らない中、たったお一人で黙々と神の実在を語り続けたご心中は、いかばかりだったでしょうか。全ての人が、仕合せの仕組みを知って救われていくように、力の限りを尽くしてくださいました。
昭和63年10月29日は、供丸斎先生が使者としての任を全て果たされ、大山命の代神として神の世界へ昇華された尊い日。ことしも、「代神誕生記念祭」が挙行されました。開始前、「代神誕生記念祭に寄せて」の動画を視聴している時から、供丸斎先生の愛が胸に迫り、目頭を押さえる人々。「神に祈願できるのも、神示を学べるのも、供丸斎先生のおかげ」と、熱い思いでいっぱいになりながら、式典がスタートしました。
今、私たちにできることは
供丸斎先生は、「人類誰もの『大恩人』」。そう切り出された神奉仕供丸清先生。「10月29日を、ただの思い出にしてほしくない」「供丸斎先生に自分は出会った。私は知らない。そういうことではないんです」一つ一つのお話から、なぜ供丸斎先生が「大恩人」なのか…。各自が深い深いその意味をつかみました。
「大恩人」だからこそ、私たちが絶対に忘れてはならない「心底からの感謝の真心」。神主教会長先生は、その心が「人生を高める確たる土台となる」と語られました。教えに生きれば、誰もが救われる時代が完成し、さらに「安定期」を迎えた今。教会長先生のお言葉から、辛苦の道を歩まれ、神示教会の礎を築いてくださった供丸斎先生への感謝心が厚みを増していきます。
「代神の御心は、今も生きています」。教主正使者供丸光先生は、当日の神示を通して、代神が、私たちに何を願われているのか、どんな心で触れればよいのかを教えてくださいました。「自分の人生に関わってくださっている供丸斎先生」。この感覚で神示に触れる中で、当時も今も、情けをかけ続けてくださっている供丸斎先生の深い愛が、心に染み入ってくる不思議。それを、出席した一人一人が味わったひとときでした。
今日(いま)は代神――
使者供丸斎の 救世の歩みを
尊く見詰める心がほしい
この心が
信者の人生(みち)を高くする
続けて、信者の代表が、心が変わり、人生が変わった不思議を発表。二人が取り組んできたのは、供丸斎先生が説き続けられた「和のある家庭」を築く努力でした。
家庭の温かさを知らずに育った夫と自分が、家族で笑い合える毎日を過ごしていることが、「大きな大きな奇跡」と言う女性。障害がある娘さんも、優しい心を育み、確実に美しく輝く人生を歩んでいます。また、「父の顔を知らず、母とは不仲で、子供とは音信不通」という男性は、教えのおかげで母と向き合え、分かり合えるようになり、奇跡的に生き別れていた我が子との再会も果たせたと、涙ながらに語りました。
最後は、全員で教会歌「希望の光」を斉唱。神と出会えた喜びと感謝があふれ、ますます生き方を高め、仕合せの輪を広げていくことを誓いました。
供丸斎先生が願われた姿に近づく努力を
「実体を修正する本気度が足りなかったと反省。ご開扉されている光明殿で、心を磨いていく決意を届けたいと思います」「代表者の話を聞いて、『こんなに救われる、実体とは違う人生が歩めるんだ』と感動で胸がいっぱいになりました」出席した方々が、涙を拭いながら供丸斎先生への思いを語ります。
「心のどこかに、『供丸斎先生にお会いしたことがない』という気持ちがあった私。だから、「『人生』に関わり 影響を与えた恩人・恩師が 使者供丸斎」という神示を読んで、うれしかったです。今も、私たちの仕合せを願い続けてくださり、精神世界でつながっている。そう思うと、これまで以上にありがたさが込み上げました。家に帰ったら、あらためて歴史書を学び直します」
「もし神と出会っていなければ…と考えました。結婚も、我が子を抱くこともできなかったと思います。さらに、そういう次元を超えて、救われ、奇跡を味わっている自分に気が付きました。短気だった私が、教えを学び始めたら、穏やかな心に変わり、夫婦げんかもなくなって…。自分でも本当に不思議。何てありがたい人生なんだろうと感謝です」
ことしは、供丸斎先生がかつて願い続けた大神殿「真実の光会館」へ続く、外参道の整備も動き出し、神総本部周辺の様子がガラリと変わりました。救世環境が引き上げられることにより、一人一人の心がもっと育まれ、希望の光を歩んでいける。今の時代の価値を心に深く受け止めて、品性の向上に努め、神の愛に報いてまいりましょう。