「教師の集い」で見えた人への関わり方
立場を踏まえて精いっぱいの愛情を

8月15日、小学校、中学校、高校の現役教師が神の館に集結。神総本部から全国の偉光会館に中継して、「教師の集い」が行われました。

 

いじめや不登校、保護者との関係。何かあれば、SNSで誹謗(ひぼう)中傷の的にされることまで…。長時間勤務などの労働条件も相まって、人員不足も問題になっている「教師」という立場。それでも、「子供たちのために…」という一心で臨んでいる先生方々。「教師としてできることは何か」をテーマに、思いを深め合いました。

 

子供時代を過ごす主な環境は、家庭と学校。そこで人は、生きる上で必要なことをさまざまに身に付けていきます。しかし、家庭と学校でできる教育は大きく異なるもの。その違いをお話しくださった、供丸姫先生のお言葉を確認しました。「性格特性の教育を、3歳から6歳くらいまでの間に家庭で行わなければなりません。いわゆる、家で基礎づくりをするわけです。そして、幼年の頃につくられた性格の善し悪しを本人に自覚させ、それを自分の意志で変える努力をさせることが、学校教育での役割になってきます」。一つ一つの言葉にうなずく出席者たち。神の教えを通して「家庭」の大切さが身に染みているものの、生徒たちの家庭には立ち入ることができない現実。日頃、葛藤を抱えている分、メモを取る姿は真剣そのものです。

 

同じ年齢の子供でも、性格や育った環境、持ち味は人それぞれ。時には、集団生活がうまくできない子に気をもむことや、保護者の思い、職場での意見の相違に悩むこともあるかもしれません。どんなときも大切なのは、目の前の状況に“のまれない心”と“生き方の軸”を持つことです。正しいことを言っても、誤解されたり、反発されたり。「それなら、どんな人の言葉だったら受け止められるだろう」「自分自身の人柄、人間性こそがものを言う」。職員の話を聞きながら、各人が、教えに生きる大切さや、祈願で神に心を正しく導いていただけるありがたさを、あらためてかみしめました。

後半は、「教員として大事にしていること」をテーマに、参加者が輪になって語り合い。

 

年齢、担当科目、経験はばらばらでも、共に神の教えを学び、教壇に立っている者同士。互いの話から、「温かい関心を持って、生徒に関わることが大事」「いつでも子供の目線になって寄り添いたい」などと新たな気付きが。喜びややりがいも共有し、頑張る意欲が湧き上がった貴重なひとときとなりました。

 

「いつもイライラしていて、口答えが多い生徒。両親がもめていて、寂しかったよう…。お母さんに『お子さん頑張ってますよ』と伝えるとハッとされて…。子供の話を聞いたり、褒めたり…と、親御さんの関わり方が変わると、その子も落ち着いてきたんです。きょうの話からも、教師は、生徒の家庭に入り込めないけれど、家庭の『大切さ』を伝えて後押しすることはできると分かりました」
「話せない子や自閉症の子には、『これをさせたい』よりも、一人一人が『何を感じているのか』、その心を大切にしたいと思っています。中には、『手を出し過ぎないでほしい』という親御さんもいるので、一緒に考えながら…。自分の思いが強く出て空回りしないよう、相手の話を聞くゆとりを祈願していこうと、再確認できました」
「日頃、自分が意識していることが供丸姫先生のお言葉と重なって、一人一人の顔が思い浮かびました。クラスで対立が起きた時、みんなでどうしたらいいかを考えたのですが、それぞれが相手の立場に立って反省し、歩み寄って、スッキリ和解。子供だからと一方的に注意するのではなく、教師と生徒もあくまで人対人。これからも、生徒たちが自分で考えて乗り越えていけるように応援していきます」

 

「神の教えを支えに頑張っている同志の存在が、心強く感じた」「子供たちのためにできることがはっきり見えて、断然やる気が…」。教師に限らず、どの職業においても、悩みや問題はあるもの。しかし、神の教えを軸に据えれば、必ず自分の力が誰かの役に立てるのです。子供たちの明るい未来のために関わり、一人一人の成長を目の当たりにできるのは、教師だから味わえる喜びであり、大きなやりがいです。だからこそ出会いを大切に、温かく寄り添いながら任を果たす。教師である誇りを胸に、きょうから新しい自分をスタートです!

 

各地の偉光会館の様子