偉光会館の歩み

■どんなに必要でも、造ってはならぬ建物

日本が戦争の荒廃から立ち直りつつあった頃、神は、供丸斎先生の手をもって、神示教会を設立されました。「よく当たる不思議な先生がいられる」と、人の口から口へと伝わり、全国に信者の輪が広がっていきました。昭和50年代から、信者数が爆発的な勢いで増大。勉強会は、個人宅を間借りして行うようになり、大きな行事は民間の施設を借りていました。組織的には、一日も早い施設の全国展開が求められていましたが、供丸斎先生は、どんなに必要でも、ご自身の時代には造ってはならぬ建物があるとおっしゃったのです。心を救う神のお力が、まだ全ては表されていなかった時代。全国各地に布教所を持つことは、神からのお許しが頂けませんでした。

 

 

■皆が願ってやまなかった偉光会館がついに誕生

第1号の偉光会館(当時は布教所)の誕生は、神の御魂が封じ込められた供丸姫先生が直使となられたのち、昭和63年12月4日のことでした。くしくも、供丸斎先生は、そのひと月ほど前の10月29日に、人としての生涯を終えられ、神の世界へと昇華されたのです。

 

今では全国各地に展開し、30カ所を超えるまでになった偉光会館。そのどれもが、その地の人々の幸を願って造られた御場所です。企業であれば、利益の拡大を図って支店を増やしていきます。しかし、偉光会館は、そうしたものとは全く異なる尺度で、神の手の中、開設されています。神を求める心が強い地、あるいは、大きな災害から立ち上がるために神の力を必要とする地、一つ一つの偉光会館に、そこに住む人々への神の愛があふれているということです。

 

代神、直使が願ってやまなかった布教所。お二方の深い愛で茨城土浦に第一号が誕生

大ホールで盛大に開催された愛媛での式典。あふれんばかりの信者で祝った門出の時

夜行列車で駆け付けた人も。北の大地、札幌にも降り注ぐ神の愛

 

■一つ一つの偉光会館に込められた神の愛

「土地柄」という言葉があるように、同じ土地に住む人々には、共通した心があるものです。その地、その地に、開運を手にするために取り組まなければならない、それぞれの「課題」があるのです。親が子供に向ける愛の深さは等しくとも、子供によって愛のかけ方は違います。同じように、神がそれぞれの偉光会館に向ける愛の深さは変わらずとも、愛のかけ方やかける角度は、その土地に見合ったものなのです。

 

春の訪れとともに誕生した、本州最南端の鹿児島偉光会館。所属信者の約半数もの人が出席

二府四県に及ぶ人たちの真心が結集した、大阪の神の館。地方会場で学んだ年月を思い返して

30年近く待ち続けてついにかなった、岩手偉光会館の開所。東日本大震災を経て迎えた喜びの日

 

その地に住む方々の幸のために存在する各地の偉光会館は、神総本部に準ずる施設です。祈願の場である神殿と、教えを学べる教室、相談の場、人生の節目の儀式が受けられる式場、そして各種の受付があり、その地の信者にとって、まさに「心のよりどころ」です。神玉園(納骨施設)を併設する偉光会館もあります。うれしいとき、苦しいとき、事有るごとに足を運んで祈願と学びを重ねれば、神の愛に包まれ、明日へ前進する力を得られるのです。

 

「神示教会」の価値を教えん
 ――「心」で回る――
  この世の「真実」気付けし者は皆
    「心」神に預ける聖地を求める
「偉光会館」
    ――この世に一つの
      「開運」かなえる所と申す

 神  示

「神示教会」の価値を教えん
 ――「心」で回る―― この世の「真実」気付けし者は皆
    「心」神に預ける聖地を求める
 「偉光会館」――この世に一つの 「開運」かなえる所と申す

(『真実の光・神示 平成23年版』45ページ)

 

偉光会館は、単なる布教の場ではなく、仕合せ、幸福をかなえる御場所、救いの館です。ご家族で足を運び、積極的に活用して、その素晴らしさを体感してください。