神の愛を胸に刻み、報恩の人生をここに誓う

(旭川市YO/50代女性/主婦)

求めていた“神”と出会えて

幼い頃から、何かあるたびに「神様」と心の中で訴え、神はどこかにいると信じていました。昭和62年にこの神と出会い、なぜか分かりませんが、「私が求めていた神だ!」と確信して信者となったのです。当初、毎日心が浮き浮きし、自分でも不思議でした。
それ以来、さまざまな場面で神の実在を味わってきました。両親の離婚で、「仕合せな家庭は持てない」と決め付けていた私が、温かい家庭に恵まれました。母の病気も、前向きに乗り越えることができました。何より、父のことでは、大きくお守りいただきました。
父は、私たちが自立して家を出た後、好きだったお酒の量が増え、人に迷惑を掛けることが増えていきました。私は仕事が忙しくて父に会いに行けず、ようやく帰省しても、酔っている姿を見ると、心配で、情けなくて、感情をぶつけてしまうことも多かったです。それでも父は、私が行くとうれしそうで、寂しさが伝わってきて、胸が締め付けられる思いでした。しばらくしてアルコール依存症と分かった時は、本当に悩みました。何度、諦めの気持ちが心をよぎったか知れません。そのたびに必死に神に手を合わせ、苦しい気持ちを祈願。やがて、父と一緒に断酒会に出席するようになりました。父の心の内を聞き、私も家族として父を本気で案じる気持ちを伝えました。家族で心をかけ、支えていく中で、父の寂しさが埋まっていったのかもしれません。お酒をやめることができたのです。本来の優しく、穏やかな父に戻った時は、夢のようでした。つらいさなかに見放すことなく、大好きな父と再び仕合せな時間を過ごせたのは、心をお守りくださった神のおかげです。

偉光会館の誕生に膨らむ喜びと期待

救われた喜びを味わっていながら、大変申し訳ないことに、神の教えを学ぶ大切さもつかめず、困ったときだけ救いを求める、身勝手な信者でした。それでも札幌に神の館が誕生し、行事運営の役割に入ったり、勉強会に通ったりするうちに、学ぶ大切さや教えで生きる素晴らしさが心に刻まれていったのです。
かつて、地元の公共施設を借りて勉強会を行っていた際、ずっと支え続けてくれた方々が高齢となり、札幌まで足を運ぶのが困難な状況となってきました。そのような中で、長年の夢だった北海道旭川偉光会館が開所したことは、何にも勝る喜びです。神魂がこの地に根付き、いつでも学べる環境が誕生したことに、喜びと期待が膨らみます。信者と籍のある私たち自身が、この偉光会館で心を磨き、喜びを味わい、身をもって、旭川の皆さまに神示教会の素晴らしさを伝えていきたいと思います。この地に深い愛をかけ続けてくださる神の御心を忘れず、報恩の気持ちで歩んでまいります。