皆さまの仕合せのために、日々全力で取り組む職員が、全国の偉光会館でお迎えしています。各偉光会館の館長を、その熱い思いと共にご紹介します。
幼少期から教会は身近な所で、いつか職員に…と思っていました。その後、父の会社に勤めましたが廃業。40歳目前にして奉職の志が現実のものとなったのです。以来、充実感に満ちた毎日です。生粋の道産子の私はこの地が大好き。役立ちたい思いは誰にも負けません。皆さまと喜びを分かち合い、仕合せな人生を共に味わいたいと願っています。
神が説かれる家族の正しい関わり。亡き父の闘病中、その大切さを味わいました。看病する側も、される側も、家族のためにできることをする日々。お互いの思いやりに絆と信頼が深まり、心の道が紡がれてゆくのを実感しました。皆さまが、和のある家庭を築き、子孫へと続く確かな仕合せを手にできるよう、誠心誠意尽くしてまいります。
子供の頃から、神の教えを素直に実践すると、心が変わり、物事が好転していく不思議を味わってきました。帯広偉光会館開所式で表された神示には、「今までとは違う 神がこの地を守る」とあり、格段に救われる時代になったことを強く感じます。だからこそ、皆さまが家族で出入りを重ね、救いを実感していけるよう、全力でお支えいたします。
憧れの金融機関に勤め、お客さまの笑顔のために励みました。一方、お金で争う家族の多さに胸が痛み、家族の関わりの重要さや、もっと根本的な仕合せになる仕組みを伝える任を担いたいと思ったのです。偉光会館は、私を育んでくれた存在の一つです。この環境で救われる喜びを、皆さまにも味わっていただけるよう、精いっぱい務めてまいります。
大震災という想像を絶する苦境を神と共に乗り越え、大きく心を高めたからこそ、新生の時を迎えられた宮城の皆さま。私の出身地であるこの地の全ての方々が、必ず開運人生を歩めるように。神の薫り漂う清い神所が、笑顔と希望にあふれ、この地が和のある家庭で埋め尽くされるように。今までの経験全てを生かして取り組んでまいります。
余命宣告を受けた幼子。ワンマンに生き、先行きを見失った紳士。人間の力ではどうにもならないことが、誰の人生にも起こり得ます。しかし、必ず心が救われ、希望を持って乗り越える手だてが神示教会にはあります。「信者の皆さま、そして神のお役に立ちたい」その心の積み重ねでできている今の自分です。力の限り、お役に立たせていただきます。
学生時代、人との接し方に悩んで偉光会館に通う中、職員や係さんが人のために尽くす姿に、「自分も誰かの役に立ちたい」と思い、職員を目指しました。福島には、震災の時以来、約10年ぶりの赴任です。当時、温かく育んでいただいた報恩の思いで、また皆さまのお役に立てるよう、仲間と共に精いっぱい務めさせていただきます。
幼少期から「神様はいる」と信じており、その後、自ら信者となりました。この教会には、世の人が求める真理があります。信者籍のない方も公式サイトを見て、「素晴らしい教えで涙が出た」「人生が変わりますね」と感動していました。秋田の皆さまに、生きる軸が得られるこの環境の価値を、何としても味わっていただけるよう、尽力します。
体育教師を目指していた私が職員になったのは、「この教会は幸福学校」という供丸姫先生のお言葉に感銘を受けたからです。以来40年、人々が救われる姿に、心が打ち震える毎日を送ってきました。開所から共に歩んできた皆さまの、素朴で、愛深い人柄に触れるほど、仕合せを願う思いも揺るぎないものとなっています。必ず実現したいと思います。
命は有限です。しかし、肉体はなくなっても、魂は永遠であることを、神の教えで知りました。人として生きられる今、魂、すなわち心を磨き抜くことがいかに大切か…。絶対に見逃せない、深いこの世の真理を学べるありがたさを痛感しています。誰もが掛け替えのない人生を謳歌(おうか)できるように、茨城の皆さまと共に、笑顔の輪を広げてまいります。
私は児童養護施設の指導員として、養護の必要な児童と、24時間365日暮らしました。しかし、愛情だけでは子供たちを救えず、「仕合せな人生を築く手だては教会にしかない」と実感したのです。数百人の児童と触れた経験から、神の教えを親子で学ぶ必要性を確信。真理をつかめば、必ず幸を得られる。その実現のために、皆さまと共に歩み続けます。
「仕合せになりたい」。どなたもが強く願い、神の教えで自分の生き方を高める努力をされています。ひた向きな歩みの先に、「心が変わり、人生が好転する」大きな喜びが必ず得られることを、声も大にお伝えしたいです。自分を育んでくれた故郷・千葉の地で、お一人お一人が仕合せな人生を歩むための一助となれるように、全力投球いたします。
神のご存在が身近だった我が家。家業が危機に陥った時も、家族みんなで励まし合い、心を一つに乗り越えられたのは、神のおかげに他なりません。自然と「人のために」という心も育まれました。栃木の皆さまにも、仕合せの基である家族の力を味わっていただきたい。救われたご家族の笑顔あふれる偉光会館となるように、精いっぱい頑張ります。
「受けて立ってほしい」との直使のお言葉に奮起し、お役に立てることを…と動く中、友人、知人が次々に救われていきました。経験したことのない喜びを心底味わい、「もっと人のために」と職員に。開運する手だてが確立している今の時代です。この地の一人残らずの皆さまが、必ず仕合せを手にできるように、心を尽くしてまいります。
大好きな供丸姫先生との出会いの中で、心の奥底に打ち込まれた、「人々の仕合せのためにお役に立ちたい」という思い。供丸姫先生の愛に報いたい気持ちも重なって、職員になったのです。地元、埼玉の皆さまに、仕合せの基である、和のある家庭を手にしていただきたく、その家の誰か一人でも神との絆を深めていけるように寄り添う毎日です。
神の館で幾度も心が洗われる経験をし、奉職しました。以来、多くの人が悩みを乗り越える姿を目の当たりにしています。家庭の不和に苦しんでいた人も、「愛する自慢の家族」とほほ笑むように…。教えに生きれば必ず救われる。その事実に感動する毎日です。山梨の皆さまが人生を好転する極意をつかみ、必ず仕合せを手にできるように尽力します。
学生時代から神の教えが支えでした。今は、「何をしたかより、どんな心でしたか」という教えを大切にしています。この地の館は、開所直前に中越沖地震が発生。延期も検討したものの、大変だからこそいち早く…と願われるであろう直使の御心を思い、誕生しました。一人一人に寄り添ってくださる神の愛を忘れず、教えを支えに歩んでいきましょう。
心臓の手術を乗り越え、心底「生かされている」と感じました。神が示される「奉仕」とは、「to give back」自分に与えられたものを返すこと。多くの支えを頂いてきたこの命、自分の力を、「人のために役立てる」揺るぎない思いがあります。手術直後の私を温かく受け入れてくださった長野の皆さま。13年ぶりの赴任に感謝し、命の限りご恩返しします。
教会の青年教育で、心のありようの大切さ、世の中の仕組みを学ぶうち、「人の役に立ちたい」と思い、奉職。多くの人の人生に触れ、悩み苦しみから確実に救われていく奇跡の数々を見てきました。たった一度の掛け替えのない人生。教えを学び、神と生きる極上の安心感を味わっていただけるように、縁あるお一人お一人の心に寄り添ってまいります。
早くに父が亡くなった我が家を、大黒柱として支えてくれた母が他界。計り知れない喪失感を拭えたのは、神の愛と教えのおかげです。自分にしかない「人のために役立つ力」を存分に発揮していこうと奮い立ち、自分らしさを取り戻せたのです。私が体感した奇跡、誰もが味わえる神と生きる価値を、力強くお伝えしてまいります。
偉光会館では、一人一人に徹底的に寄り添える楽しさ、感激を味わう毎日です。悩みを抱えても、神の教えに答えを見いだし、学んで救われる姿。教えを実践して、家族で学び始める姿。そこに関わる地域のお仲間の熱い気持ちには感動、感謝しかありません。待つのではなく、自ら動く。仕合せの輪を広げるために、どんなことでもさせていただきます。
先の見えない病と闘う中、神に救われました。その時、「絶対にご恩返しさせていただきたい!」と誓った思いを忘れたことはありません。数々の災害に見舞われてきた地ですが、身近に神の館があるおかげで、大きな安心感の中で過ごせます。この救いの館の価値を力強く伝え、大切に守り、次代にしっかりつなげていきます。
大病を患い、何度も救いを求め、学びに来た偉光会館。不安も不満も祈願で流れ去り、不治の病から救われて職員に。同じように救われていく、多くの方々の姿を見てきました。「もっと大勢の方が、もっと救われていくように…、この地を、神魂が願われる和のある家庭で埋め尽くしたい」そのために研さんを重ね、職員の任を果たしてまいります。
福井偉光会館開所当日、係の私は神門で大勢の方をお迎えしながら、「皆さまに仕合せになっていただきたい」と願っていました。自分にできることでお役に立ちたい…その思いが募り、職員の道に。今の時代、神の教えに生きれば、何があっても必ず希望を持って歩めます。福井の皆さまが、悔いのない人生を送れるように精いっぱい務めてまいります。
漠然とした寂しさや不安を抱えていた心を、優しく包んでくれたのが神示でした。神の教えを学ぶほど、自分に欠けているもの、見えていなかったことに気付き、必ず救われていきます。これこそが、神の愛であり、根本から人生を変える手だてです。苦しみさえも、人生を彩る宝になります。神と共に歩んで、本当の仕合せを手にしましょう。
「負けたくない」と歯を食いしばって生きていた母が、神と出会い、笑顔が増えたのです。環境は変わらなくても、家族の心は楽になりました。あらがえない環境下にいたとしても、生き直せるから生きる希望を持ち続けてほしい、それが私の救世に懸ける思いです。夢を語り合える家庭が増えるよう、皆さまと共に、笑顔に向かって歩んでいきます。
「直使の御心だけは裏切れない」「自分も、人のために尽くす両親のような職員に…」と思い、奉職しました。皆さまの人生に寄り添う緊張感の中で、悩んでいた方が笑顔に変わり、教えを学ぶ醍醐味を味わう姿を見るのが生きがいです。教えの奥深さに魅了された一人として、この感動と安心感を、この地の皆さまに味わっていただきたいと思います。
20代で大きな悩みに直面した際、神示を生き方に取り入れる努力をしたら、自分ではどうにもできなかった心が落ち着きました。その時、神の実在と深い愛を感じたのです。神と歩めば安心感に包まれるという不思議を、皆さまに味わっていただきたくて、心を尽くす毎日です。広島偉光会館が、救われた方々の笑顔でいっぱいになることを願っています。
東北に赴任中、大震災に見舞われました。壮絶な状況の中、心の折れた方々が立ち直る原動力となったのは、直使供丸姫先生が万人に与えたいと願われた「希望」でした。神、大山命と一緒なら、どのようなときも心明るく生き抜いていけます。地元愛媛の皆さまが、希望にあふれた人生を歩み抜けるように、神との橋渡しを努めてまいります。
長年積み重ねた、「どうせ自分は…」の悲観的な心。「変わりたい」と求めて神の教えを学ぶうちに、心が変わる救いを味わい、自分にできることでお役に立ちたいと、職員人生を歩む決意をしました。香川偉光会館は、家族で足を運んだ思い出の場所。その館で、訪れる方々をお迎えできることに感謝し、皆さまの人生に力強く寄り添ってまいります。
進路に迷っていた時、導かれるように奉職しました。幼い頃から、「困っている人を助けたい」と人の笑顔に喜びを感じていた私に、神が生きる場所を与えてくださったのです。同郷の佐賀の皆さまは、人の仕合せを願う神の存在を伝えたいという熱い心をお持ちの方々ばかりです。新生佐賀偉光会館と共に、私も心生まれ変わり、救世に臨んでまいります。
神示を学ぶ方々の人生が引き上げられていく姿を目にするたびに、神示の持つ力の大きさと、深い神の愛を感じます。私自身も、神示に触れて心が安定し、「仕事を続けるのは無理」と言われた病を乗り越えました。頂いた命を、長崎の皆さまのお役に立てたいと願い、強い使命感と愛ある心で、お一人お一人のお心に寄り添わせていただきます。
看護師として働く中、「人生の幸不幸は命の長短ではない」「最期にその人の生き方が見える」と感じていました。当時、「教会に病院ができれば…」という直使のお言葉を伺い、「真実の救いのためにお役に立ちたい」と職員に。熊本出身の私は、この館のおかげで今があります。皆さまにも、ここで多くの喜びを味わっていただきたいです。
祖母が病で他界したのを機に、病気で苦しむ人を助けたいと医師を志した私。神に出会い、病も含め、人生が根こそぎ救われる道がある、と知った時は感動でした。私自身も数々の奇跡を味わい、職員の道に。多くの方々が救われていく姿に喜びを感じる日々です。この赴任で初めて訪れた鹿児島の地で、皆さまの仕合せのために尽くしてまいります。
神示教会の係になり、お金でなく、人のために役立つ喜びを知った私。交通事故で命を救われ、恩を返したくて奉職しました。福岡偉光会館は、既存の施設を皆さまの真心で整備して誕生した神所です。お一人お一人の真心に報いたい。一人残らずが悔いのない人生を歩めるようにお役に立ちたいと思っています。どうぞ、ご家族で足を運んでください。
奉職後、最初の慶事が大分偉光会館開所式でした。「もっと大分の方々が救われていく」と、感謝と感動の涙を流したのを覚えています。神示教会は、心が変わる、人生が変わる環境です。つらいことがあったとしても、全てが糧になると言い切れます。奉職の時に誓った「一瞬一瞬の出会いを大切に」の思いを胸に、皆さまに寄り添わせていただきます。
以前は、人々の食を支えるべく、水と土に関わる仕事に従事していました。その時、気付かされたのが、人知を超えた自然・神の偉大さです。その神のお力が根付くことで、どれほど救われるか知れません。職員の任は、神から託された使命と思います。「神が示される正しい生き方をすれば、必ず仕合せになれる」と、愛する郷土に広めてまいります。
苦しみながら最期を迎えた青年。「こういう子がいない世の中にしたい」と、看護師から職員になりました。驚いたのは、がんの末期でも苦しまず、家族が安心して見送る穏やかな終日があることでした。神の教えで生きれば、必ず悔いのない人生が歩めます。沖縄の皆さまが、思いを残さず、充実した人生を送れるように、心を尽くしてまいります。
日本にルーツを持つ私ですが、アメリカで育ち、多くの国、人種の方々との深い縁に支えられてきました。多様な文化が入り交じるアメリカにあっても、真実の神の教え、真理に沿った生き方があることを、触れ合うお一人お一人に伝えていきたいです。この国に住む信者の方々の心のよりどころとなれるように、皆さまの思いに寄り添ってまいります。