皆さまの仕合せのために、日々全力で取り組む職員が、全国の偉光会館でお迎えしています。各偉光会館の館長を、その熱い思いと共にご紹介します。
幼少期から教会は身近な所で、いつか職員に…と思っていました。その後、父の会社に勤めましたが廃業。40歳目前にして奉職の志が現実のものとなったのです。以来、充実感に満ちた毎日です。生粋の道産子の私はこの地が大好き。役立ちたい思いは誰にも負けません。皆さまと喜びを分かち合い、仕合せな人生を共に味わいたいと願っています。
神が説かれる家族の正しい関わり。亡き父の闘病中、その大切さを味わいました。看病する側も、される側も、家族のためにできることをする日々。お互いの思いやりに絆と信頼が深まり、心の道が紡がれてゆくのを実感しました。皆さまが、和のある家庭を築き、子孫へと続く確かな仕合せを手にできるよう、誠心誠意尽くしてまいります。
子供の頃から、神の教えを素直に実践すると、心が変わり、物事が好転していく不思議を味わってきました。帯広偉光会館開所式で表された神示には、「今までとは違う、神がこの地を守る」とあり、格段に救われる時代になったことを強く感じます。だからこそ、皆さまが家族で出入りを重ね、救いを実感していけるよう、全力でお支えいたします。
開所式の時、皆さまと共に直使をお迎えさせていただきました。あれから約30年。今の時代は、素直な心で神と向き合い、家族で教えに生きれば、絶対に救われます。悩み、苦しんでも、全てが自分の糧となり、吉に返してくださるのが神です。皆さまが、神所をフル活用して、もっと神の愛とお力を実感していただけるように心を尽くしてまいります。
「神から生かされている命を、人のためにささげたい」13年前、心臓手術で命の危機に直面し、私の生き方は変わりました。以来、人の命と人生を預かる緊張感がますます膨らみました。「生まれてきてよかった。家族に出会えてよかった」一人残らずの方に、そう思える人生を歩んでほしい。込み上げる熱い思いを胸に、訪れる方々と生きていきます。
学生時代、人との接し方に悩んで偉光会館に通う中、職員や係さんが人のために尽くす姿に、「自分も誰かの役に立ちたい」と思い、職員を目指しました。福島には、震災の時以来、約10年ぶりの赴任です。当時、温かく育んでいただいた報恩の思いで、また皆さまのお役に立てるよう、仲間と共に精いっぱい務めさせていただきます。
幼少期から「神様はいる」と信じており、その後、自ら信者となりました。この教会には、世の人が求める真理があります。信者籍のない方も公式サイトを見て、「素晴らしい教えで涙が出た」「人生が変わりますね」と感動していました。秋田の皆さまに、生きる軸が得られるこの環境の価値を、何としても味わっていただけるよう、尽力します。
憧れの金融機関に勤め、お客さまの笑顔のために励みました。一方、お金で争う家族の多さに胸が痛み、家族の関わりの重要さや、もっと根本的な仕合せになる仕組みを伝える任を担いたいと思ったのです。偉光会館は、私を育んでくれた存在の一つです。この環境で救われる喜びを、皆さまにも味わっていただけるよう、精いっぱい務めてまいります。
子供の頃から神の教えを学び、教会が大好きでした。父の死や自分の大病を、くじけずに乗り越えられたのは神のおかげです。教会には、仕合せになるために必要な道筋が示されています。それを声を大にして伝えたい。どなたにも、悔いのない人生を歩んでいただきたいです。全ての出会いが一回勝負と思い、仲間と心一つに取り組んでいきます。
初めて神総本部に行った時、どこにいても、職員が笑顔で声を掛けてくれました。その時感じた明るさや温かさが、皆さまをお迎えする心構えの原点です。偉光会館は、信者さんにとって、心のよりどころであることを痛切に感じています。家族の誕生をはじめ、うれしいとき、悲しいとき、人生の全ての瞬間を、皆さまに寄り添ってまいります。
神のご存在が身近だった我が家。家業が危機に陥ったときも、家族みんなで励まし合い、心を一つに乗り越えられたのは、神のおかげに他なりません。千葉での業務は二度目ですが、前回、皆さまと一緒に救世の喜びを味わえたことが、私の大きな力になっています。大好きな千葉に笑顔の輪がますます大きく広がるように、全力を尽くしてまいります。
私は児童養護施設の指導員として、養護の必要な児童と、24時間365日暮らしました。しかし、愛情だけでは子供たちを救えず、「仕合せな人生を築く手だては教会にしかない」と実感したのです。数百人の児童と触れた経験から、神の教えを親子で学ぶ必要性を確信。真理をつかめば、必ず幸を得られる。その実現のために、皆さまと共に歩み続けます。
高校生の時、「若人の皆に期待している」という直使のお言葉に、「お応えしなければ!」と心が震えました。教えのとおり、引っ込み思案の私も、人と関わることで人生が素晴らしいものとなることを実感。人生の重要事を学べる神示は、まさに宝です。その宝と、学んで得られる喜びをお届けし、高萩に笑顔があふれるように心を尽くします。
大好きな供丸姫先生との出会いの中で、心の奥底に打ち込まれた、「人々の仕合せのためにお役に立ちたい」という思い。供丸姫先生の愛に報いたい気持ちも重なって、職員になったのです。地元、埼玉の皆さまに、仕合せの基である、和のある家庭を手にしていただきたく、その家の誰か一人でも神との絆を深めていけるように寄り添う毎日です。
神の館で幾度も心が洗われる経験をし、奉職しました。以来、多くの人が悩みを乗り越える姿を目の当たりにしています。家庭の不和に苦しんでいた人も、「愛する自慢の家族」とほほ笑むように…。教えに生きれば必ず救われる。その事実に感動する毎日です。山梨の皆さまが人生を好転する極意をつかみ、必ず仕合せを手にできるように尽力します。
学生時代から神の教えが支えでした。今は、「何をしたかより、どんな心でしたか」という教えを大切にしています。この地の館は、開所直前に中越沖地震が発生。延期も検討したものの、大変だからこそいち早く…と願われるであろう直使の御心を思い、誕生しました。一人一人に寄り添ってくださる神の愛を忘れず、教えを支えに歩んでいきましょう。
小学校教諭を目指していましたが、職員の、人に尽くす思いに触れ、「子供たちの根本的な手助けができるのでは…」と職員を志しました。神の教えに沿って生きれば、いつも心安らかで、夢ある日々を手にできます。開所式の折、供丸姫先生が「素朴で純粋」と言われた長野の皆さま。この地に、神と生きる価値を伝え、広げてまいります。
父が倒れ、農業を継いだ頃、偉光会館が開所しました。目先のことのみならず、根本から救われる環境と知り、我が家だけでなく、教会のために役に立ちたいと思ったのです。新潟に表された、「この地を愛する直使の御心受けて立たれよ」という神示を目にした瞬間、「受けて立ちます」と誓いました。職員として何ができるか、いつも考えています。
早くに父が亡くなった我が家を、大黒柱として支えてくれた母が他界。計り知れない喪失感を拭えたのは、神の愛と教えのおかげです。自分にしかない「人のために役立つ力」を存分に発揮していこうと奮い立ち、自分らしさを取り戻せたのです。私が体感した奇跡、誰もが味わえる神と生きる価値を、力強くお伝えしてまいります。
偉光会館では、一人一人に徹底的に寄り添える楽しさ、感激を味わう毎日です。悩みを抱えても、神の教えに答えを見いだし、学んで救われる姿。教えを実践して、家族で学び始める姿。そこに関わる地域のお仲間の熱い気持ちには感動、感謝しかありません。待つのではなく、自ら動く。仕合せの輪を広げるために、どんなことでもさせていただきます。
先の見えない病と闘う中、神に救われました。その時、「絶対にご恩返しさせていただきたい!」と誓った思いを忘れたことはありません。数々の災害に見舞われてきた地ですが、身近に神の館があるおかげで、大きな安心感の中で過ごせます。この救いの館の価値を力強く伝え、大切に守り、次代にしっかりつなげていきます。
大病を患い、何度も救いを求め、学びに来た偉光会館。不安も不満も祈願で流れ去り、不治の病から救われて職員に。同じように救われていく、多くの方々の姿を見てきました。「もっと大勢の方が、もっと救われていくように…、この地を、神魂が願われる和のある家庭で埋め尽くしたい」そのために研さんを重ね、職員の任を果たしてまいります。
福井は縁がある地です。私の出生地であり、偉光会館の最初の赴任先でもあります。さまざまな忘れられない出会いがあり、神の教えで生きて救われていく姿や喜びも目にしました。一人残らずの方が家族で教えを学び、神が根付いたこの偉光会館を活用して、仕合せ感に包まれた日々を過ごせるように願いながら、お迎えしてまいります。
漠然とした寂しさや不安を抱えていた心を、優しく包んでくれたのが神示でした。神の教えを学ぶほど、自分に欠けているもの、見えていなかったことに気付き、必ず救われていきます。これこそが、神の愛であり、根本から人生を変える手だてです。苦しみさえも、人生を彩る宝になります。神と共に歩んで、本当の仕合せを手にしましょう。
「負けたくない」と歯を食いしばって生きていた母が、神と出会い、笑顔が増えたのです。環境は変わらなくても、家族の心は楽になりました。あらがえない環境下にいたとしても、生き直せるから生きる希望を持ち続けてほしい、それが私の救世に懸ける思いです。夢を語り合える家庭が増えるよう、皆さまと共に、笑顔に向かって歩んでいきます。
「直使の御心だけは裏切れない」「自分も、人のために尽くす両親のような職員に…」と思い、奉職しました。皆さまの人生に寄り添う緊張感の中で、悩んでいた方が笑顔に変わり、教えを学ぶ醍醐味を味わう姿を見るのが生きがいです。教えの奥深さに魅了された一人として、この感動と安心感を、この地の皆さまに味わっていただきたいと思います。
20代で大きな悩みに直面した際、神示を生き方に取り入れる努力をしたら、自分ではどうにもできなかった心が落ち着きました。その時、神の実在と深い愛を感じたのです。神と歩めば安心感に包まれるという不思議を、皆さまに味わっていただきたくて、心を尽くす毎日です。広島偉光会館が、救われた方々の笑顔でいっぱいになることを願っています。
東北に赴任中、大震災に見舞われました。壮絶な状況の中、心の折れた方々が立ち直る原動力となったのは、直使供丸姫先生が万人に与えたいと願われた「希望」でした。神、大山命と一緒なら、どのようなときも心明るく生き抜いていけます。地元愛媛の皆さまが、希望にあふれた人生を歩み抜けるように、神との橋渡しを努めてまいります。
長年積み重ねた、「どうせ自分は…」の悲観的な心。「変わりたい」と求めて神の教えを学ぶうちに、心が変わる救いを味わい、自分にできることでお役に立ちたいと、職員人生を歩む決意をしました。香川偉光会館は、家族で足を運んだ思い出の場所。その館で、訪れる方々をお迎えできることに感謝し、皆さまの人生に力強く寄り添ってまいります。
進路に迷っていた時、導かれるように奉職しました。幼い頃から、「困っている人を助けたい」と人の笑顔に喜びを感じていた私に、神が生きる場所を与えてくださったのです。同郷の佐賀の皆さまは、人の仕合せを願う神の存在を伝えたいという熱い心をお持ちの方々ばかりです。新生佐賀偉光会館と共に、私も心生まれ変わり、救世に臨んでまいります。
神示を学ぶ方々の人生が引き上げられていく姿を目にするたびに、神示の持つ力の大きさと、深い神の愛を感じます。私自身も、神示に触れて心が安定し、「仕事を続けるのは無理」と言われた病を乗り越えました。頂いた命を、長崎の皆さまのお役に立てたいと願い、強い使命感と愛ある心で、お一人お一人のお心に寄り添わせていただきます。
看護師として働く中、「人生の幸不幸は命の長短ではない」「最期にその人の生き方が見える」と感じていました。当時、「教会に病院ができれば…」という直使のお言葉を伺い、「真実の救いのためにお役に立ちたい」と職員に。熊本出身の私は、この館のおかげで今があります。皆さまにも、ここで多くの喜びを味わっていただきたいです。
神示教会の職員となったのが平成7年、鹿児島偉光会館の開所と同じ年です。私自身、両親を玉納奉寿(教会葬儀)で送り、真の救いを味わいました。神示教会には、唯一無二の心の救い、魂の救いがあります。それを鹿児島の方々にも味わっていただきたいのです。その家、その家が根こそぎ救われることを願い、皆さまのお越しをお待ちしております。
解決の道を見いだせずに、嘆き、悩む人の姿を目にすると、神と出会い、教えを学べる価値が身に染みます。小さい頃は分からなかった、いつも穏やかで、安心感に包まれて生きるありがたさ。一人一人の仕合せを願ってくださっている神の愛を、信者の皆さまにお伝えできるよう、自分の力を磨き、努力してまいります。
奉職後、最初の慶事が大分偉光会館開所式でした。「もっと大分の方々が救われていく」と、感謝と感動の涙を流したのを覚えています。神示教会は、心が変わる、人生が変わる環境です。つらいことがあったとしても、全てが糧になると言い切れます。奉職の時に誓った「一瞬一瞬の出会いを大切に」の思いを胸に、皆さまに寄り添わせていただきます。
以前は、人々の食を支えるべく、水と土に関わる仕事に従事していました。その時、気付かされたのが、人知を超えた自然・神の偉大さです。その神のお力が根付くことで、どれほど救われるか知れません。職員の任は、神から託された使命と思います。「神が示される正しい生き方をすれば、必ず仕合せになれる」と、愛する郷土に広めてまいります。
苦しみながら最期を迎えた青年。「こういう子がいない世の中にしたい」と、看護師から職員になりました。驚いたのは、がんの末期でも苦しまず、家族が安心して見送る穏やかな終日があることでした。神の教えで生きれば、必ず悔いのない人生が歩めます。沖縄の皆さまが、思いを残さず、充実した人生を送れるように、心を尽くしてまいります。
日本にルーツを持つ私ですが、アメリカで育ち、多くの国、人種の方々との深い縁に支えられてきました。多様な文化が入り交じるアメリカにあっても、真実の神の教え、真理に沿った生き方があることを、触れ合うお一人お一人に伝えていきたいです。この国に住む信者の方々の心のよりどころとなれるように、皆さまの思いに寄り添ってまいります。