「神の御心に応えたい!」
愛いっぱいの地を目指して

(那覇市KS/50代女性/主婦)

目の当たりにした数々の奇跡

神との出会いは約30年前。母が病に倒れたのがきっかけでした。友人に教会の話を聞いて神総本部を訪れると、不思議と気持ちが穏やかになり、不安が薄らぎ、すぐに信者となったのです。ありがたいことに、母は見る見る元気を取り戻しました。「こんなに良くなるなんて」と主治医も驚く回復ぶりで、亡くなるまでの3年間、希望に満ちた、明るい気持ちで過ごせました。何より、家族の絆が深まったことに感謝でした。
その数年後に亡くなった父は、沖縄で初めて、教会葬儀、玉納奉寿を受けることができました。ユタの風習のある沖縄で、これは奇跡に等しいことでした。さらに、神と旅立った父は、葬儀業者がびっくりするほどの笑顔で、確実に神がお守りくださっていることを味わわせていただいたのです。親戚からも「良い儀式だった」と言ってもらい、きょうだい5人で、神と一緒に人生を歩んでいこうと、あらためて誓いました。

教えの実践で大きく変わった自分

神の教えを学んでくる中で、私自身、大きく変わりました。本来の私は小心者で、人に思いを伝えるのが苦手です。反抗期には、親と口を利かないこともありました。夫に対しても、自分の機嫌が悪いと黙ってしまいそうになります。しかし、会話の大切さを学んでいるから、「家族にこそ思いを伝えよう」と、踏みとどまれるのです。夫や子供もいろいろなことを話してくれ、娘には「大好きなお母さん。私の一番の理解者」とまで言ってもらっています。子供と会話が弾むのも、銀婚式を迎える夫と「愛してる」と言い合えるのも、神のおかげ。今はどこにいても神の愛を感じ、自分に自信を持てるまでになりました。
とはいえ、人との触れ合いで、相手のぶっきらぼうな反応にくじけそうになることもあります。そのときも、教えに触れれば心のかすみは一気に晴れ、祈願すれば「タイミングが悪かったかな」と相手の事情を察する気持ちにもなれるのです。「人に愛をかけられる自分になりたい」と願う毎日に、人と関わる気持ちは枯れません。「あの人、どうしているかな?」とふと心が動いて電話をかけると、「何で、つらい時に連絡をくれるの?」「落ち込んでるって分かったの?」と驚かれることもあり、神の応援をひしひしと感じます。
2年前の春、建設用地清めの儀に参列させていただきました。そこだけベールに包まれたように、穏やかで、清い空気が流れ、感動でいっぱいでした。「偉光会館が誕生したら、この感動が大きく広がっていく!」と思ったら、感謝で震えました。かつて、神から「心通い合う真の出会いが薄い地」と言われた沖縄。共に教えを学ぶ仲間と一緒に、人との絆を結ぶために努力していきます。目指すのは、争いがなくなり、愛いっぱいの地になること。仕合せの輪が広がることを心から願い、神の愛に応えていこうと誓っています。