偉光郷とは

■心の道が末永くつながる

仕合せな人生を歩みたいと、誰もが願っています。仕合せとは、一人一人の持って生まれた良さを生かして、多くの人の役に立ち、生きがいにあふれた毎日を送ることです。そして、悔いのない人生を歩みきり、一生を終えた後も、自らの魂が繰り返し仕合せな人生に生まれ変わることができるのが、真実の幸福です。心の道が末永くつながるまことの救いを実現するため、欠くことのできない施設が、この偉光郷です。

 

 神  示
偉光郷 まことの救い得られる御所
 生まれて 人生 これ歩む 
    「まこと・人」の終日  
         閉じゆく過程に 
     欠くことならない光の足跡
  磨いて 磨いて 我が道光らせ 
      行き着く先に偉光郷あり 
              有り難や

 

 神  示
偉光郷 まことの救い得られる御所
 生まれて 人生 これ歩む 「まこと・人」の終日 閉じゆく過程に 欠くことならない光の足跡
      磨いて 磨いて 我が道光らせ 行き着く先に偉光郷あり 有り難や

 

■神魂が守る御魂安置所

供丸姫先生、供丸斎先生の神玉(ご遺骨)が奉安されている偉光郷は、この地を通して一人一人が安心感に包まれ、心の道がつながっていくように、神がご守護くださっています。偉光郷にある神玉里(納骨施設)は、故人を強く感じ、その良い生き方を受け継いで、心を磨いて生きる決意を固めるための施設です。そうすることで、故人の魂も、今を生きる私たちの心も安定します。そのため、神は神玉里を「御魂安置所」と示されるのです。この真理は、全国各地の納骨施設、神玉園につながっています。

 

 

■終焉は新たな人生の始まり

人生は、有限です。誰にも必ず終焉の時が訪れます。そのようなことを思いもせず、自由に生きてきた人でも、晩年を迎えてその時が近づくにつれ、どのような最期を迎えるのか、不安が尽きないのも、人の常でしょう。しかし、魂は永遠なのです。繰り返し生まれくることを深く理解できると、今の生き方をより高める意欲が湧き上がります。そのように生きる姿勢が、次の人生をさらに素晴らしいものへと引き上げていくのです。神と歩む道において、死は全ての終わりではなく、より輝く次の人生の始まりとなるわけです。それは万人の願いなのではないでしょうか。従って、神は死を「没」ではなく、「寿」と表されます。新たな偉光(ひかり)に包まれる寿の時に、本人は希望を持って旅立ち、そして遺族は寂しさの中にも全てを受け入れ、共に深い安らぎを覚えるのです。

 

■心と魂を救う「心療所」

一人一人が仕合せな人生を歩めるように開かれた「希望の光(みち)」、そして希望の光(みち)を歩んだ先に、永遠の魂の救いを約束する「真実の光(みち)」。そうしたまことの救いを得る上で、偉光郷は欠かせない環境です。この地を神は「心療所」とも表されました。故人の魂が安らぎ、遺族の心も安心感に包まれる、まさに心と魂を癒やしてくれる、尊い御場所なのです。

 

■家族で共に出入りを

偉光郷は、相模湾を一望する湯河原の山上にあり、周囲には豊かな自然が広がります。参拝した家族をはじめ、儀式を受けた方々も、秀和の道会館でゆったりと過ごせます。宿泊すれば、野鳥のさえずりで目を覚まし、爽やかな空気に、身も、心も潤います。折に触れて、家族で偉光郷に足を運び、心行くまでこの環境を味わってください。和のある家庭を築くところに、その家の心の道が太くつながり、故人の魂が輝く運命を授かって、再び生まれてくることでしょう。

 

■まことの救いを実現する歩みが

偉光郷は、平成16年に完成しました。しかし、そこに至るまでには、供丸姫先生、供丸斎先生が願い続けられた長い年月があったのです。秀和の道会館では、神示教会の歴史とともに、偉光郷の歩みをたどる展示を常設しています。教会史を振り返れば、この偉光郷が、人の心と魂を救うために、どれほど重要な施設かがつかめることでしょう。偉光郷にお越しの折に、ぜひご覧ください。

 

 神  示
偉光郷――救世の力 いや増し輝き  
  信者 世の人々の「心」を
             導いてゆく
 「直使」「代神」の思いを頂き
   信者 世の人々の「心の道」を
            つないでゆく

 

 神  示
偉光郷――救世の力 いや増し輝き 信者 世の人々の「心」を導いてゆく
 「直使」「代神」の思いを頂き 信者 世の人々の「心の道」をつないでゆく