神示教会にある「供の会」。対象は、聴覚、視覚、肢体障害者とそのご家族です。
人間の価値は 世(社会)に役立つ力(運命)を持って生まれていること(真実)
精神世界の実在を知る皆は
今こそ 「運命」の力をもって 社会に奉仕して「生きる」心を 強く持つ時
供の会で 真実「真理」を学ぶ環境を 大切にされよ
人間の価値は
世(社会)に役立つ力(運命)を
持って生まれていること(真実)
精神世界の実在を知る皆は
今こそ 「運命」の力をもって
社会に奉仕して「生きる」心を
強く持つ時
供の会で 真実「真理」を学ぶ環境を
大切にされよ
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』125ページ(中略あり)
「供の会」に表された神示を基に、共に心を磨き、温かい触れ合いを通して、それぞれが社会に役立つ心を育んでいます。
供の会の再開に先駆けて、一部のメンバーが集い、生き方を高められるこの環境への思いを深めたひととき。一つ一つの出来事をしっかりと受け止め、心を磨く仲間たちからあふれる明るさ、力強さを、ぜひ感じてください。
――まず、皆さまと「供の会」との出会いを教えてください。
池田俊二 私は、遺伝性の網膜色素変性症で、40歳ごろから視野が狭まっていき、50歳になった時には、わずかに光を感じる程度になってしまいました。仕事も辞めざるを得ず、絶望感に打ちのめされていました。そんな時、供の会を知ったんです。
木幡由美子 教会の展示会で、供の会の方々が作った作品を拝見して、供の会の存在を知りました。それが最初です。素晴らしい作品がたくさんあって、「すごいな。障害があってもこんなことができるんだ」って。今思うと上から目線で、「かわいそう」「大変だろうな」という感覚だったと思います。そんな私が、8年前に緑内障が進行して視野の大部分を失って…。それで、供の会に参加するようになりました。
三橋美和子 私は2歳の時、抗生物質の副作用で聴力を失いまして、教会の勉強会は、いつも主人のノートを見て学んでいました。口の動きを読むことで何とか会話はできますが、当時は手話が分からなくて、供の会には出席していなかったんです。でも、手話を習い始めた頃、そこで知り合った友人を案内したくて参加したのが出会いです。
――実際に参加してみて、いかがでしたか?
三橋 皆さんが明るくて、雰囲気がとても温かくて、感動したのを覚えています。板書もあって、教えがとても分かりやすくて、それから欠かさず出席しています。聴覚、視覚、肢体障害の3つの部を合同で行う会ができた時は、「どうやって触れ合うの?」と心配しました。ところが、ふたを開けてみたら、心と心が通じて、みんなが笑顔で学び合えて、気持ちが沸き立ちました。いつも、すごく元気を頂いて、皆さんと会うのが楽しみです!
池田 おっしゃるとおり、皆さんが底抜けに明るくて、驚きました。あまのじゃくな私は、「無理しているんじゃない?」とひそかに思っていたんです。でも、皆さんにお話を伺うと、心から伸び伸び、生き生きしているのが伝わってきて、「僕もそうなりたい!」と思ったんですね。本来は口下手なんですけど、自分の気持ちを伝えようと進んで関わっていったら、いつの間にか仲間に入っていました。
木幡 私の目が見えなくなったのは、作曲家として第一歩を踏み出した矢先の出来事で、絶望のどん底に落とされた気持ちでした。正直に言うと、初めは、供の会に参加するのも気が重かったんです。でも、いざ出席してみると、私もお二人と同じで、皆さんの笑い声や明るさ、何より自分の持つ力をフルに使って、神の教えを前のめりに学ぶ姿勢に心を打たれました。
しかも、「まだ現実を受け止められません」と涙ながらに自己紹介をした私を、みんなが手を握って励ましてくれたんです。「私も同じだったよ」「神が付いているから大丈夫」と。その温かさに、「体は不自由でも、心は不自由ではない」と身をもって教わりました。それが私の出発点。出席するうちに、自分のことできゅうきゅうとしていた私の心に、人の仕合せを願う気持ちや、人の役に立ちたい気持ちが湧いてきました。
――地域の仲間との接点も励みになったそうですね。
池田 はい。目のことで失意に陥っていた時、同じ地域の方から教会に誘われました。行ってみると、多くの仲間が私を励ますために待っていてくれたんです。ところが、当時は落ち込みが激しかったので、「わざわざ何で?」って、素直に受け止められなかったんですね。でも、家に帰ってからじわじわきました。みんなが私のために集まって、声を掛けてくれた。こんなに温かい気持ちをかけてくれる存在があるんだな…と。涙が出ました。「これで生きていける」と、絶望の淵にあった心に希望が湧き上がりました。人と関わる大切さを、あらためて感じたんです。
三橋 地域って温かいですよね。私は、主人が一緒のときはいいけれど、いないときはどうしたらいいのかなと迷ってたんです。でも、職員に「迷わず飛び込んでみて」と背中を押されて、思い切って行ってみたんです。
皆さん、本当に温かく受け入れてくれて、自分の家の近くに、こんなに多くの仲間がいることがうれしくて、地域の素晴らしさを知りました。
――温かく受け入れてもらえる、皆さんのお人柄もあると思うのですが、人と関わるときに大事にしていることはありますか?
池田 「心の在り方」ですね。こだわる心、丸い心、とんがった心…。見詰めると、その時々の心が見えてきます。心の動き一つで人生が良くも悪くもなると思ったら、いつも丸い心を意識するようになりました。人に手助けしてもらうことも多いのですが、「自分からも何かできたら…」と思って、お礼の言葉に加えて、「肩を貸してもらえると助かります」「とても安心するんですよ」と、自分の気持ちを伝えています。障害があるからこその「役立ち方」ですよね。その他にも、人と話していて感動したら、「すごい!」「感心した!」って素直な思いを言葉にするように…。たったこれだけで、相手に気持ちが伝わって、返ってくる。それが、自分の心をさらに丸くしてくれるのを感じます。
木幡 すごく分かります。私は、ずっと看病してきた妹との時間が長くないと宣告された頃に見えなくなり、すっかり打ちひしがれてしまいました。つらい思いから解放されないと、どんな励ましの言葉も素直に受け止められないし、自分を責めて、またつらくなる。どんどん深みにはまってしまった当時の経験があるからこそ、人の痛みが分かるようになったと思います。つらいときも目線を変えれば喜びがあることを、押し付けではなく共有する気持ちで触れていきたいと思うようになりました。そういうふうに自分の心が変わったら、相手の心も柔らかくなって、「いつもありがとうね」って言ってくれたりして…。温かい心の交流が図れているのを感じます。自分の心が大事なんだなと思います。
三橋 やっぱり聞こえないと会話がスムーズではないので、友人ができにくいです。だけど、供の会で、障害を超えて通じ合えるという経験をしてから、人と触れることにますます積極的になれた気がします。100名近い手話サークルの会長をしたこともあります。今はコロナ禍でお休みですが、会計などの役員を頼まれると、少しでも役立ちたい思いで引き受けています。教会を知らなかったら、ここまで元気な心は持てなかったと思います。神のすごさにあらためて感謝です。
木幡 私は、皆さんと一緒に音楽を作るワークショップを行っていて、ろう学校の授業を見学がてら参加させてもらったこともあります。供の会のおかげで片言だけど手話ができたので、聞こえない子供たちとおしゃべりできて、障害があっても、誰とでも、一緒に音楽を作れる自信が持てました。世間では、聴覚障害者と視覚障害者とが音楽作りを楽しむのは困難と言われています。でも、困難なのは、必要とする補助が異なるためで、前もって準備しておけば不可能ではないと感じました。心はみんな同じなので…。知識とか常識を超えて、「人のために何ができるだろう」っていう気持ちで関わっていけるのは、本当に神の教えを学んでいるおかげと思います。
人と触れるたびに「愛を返していかなきゃ」という思いが強まります。周りの人のために愛を返そうとする気持ちが、人の役に立つ力を磨くことにつながるのかなと感じます。もっともっと人のために、自分の力を発揮していきたいです。
――根底にある「人に役立ちたい思い」をひしひしと感じました。最後にひと言…。
池田 人と関わるって、本当にすてきなことだなと思います。温かい気持ちをいっぱい頂くんです。ある時、声を掛けてくれた人の肩に手を置いたら、ランドセルを背負っていたんです。「ありがとう」と伝えたら、その女の子は「うふ」と笑ってくれました。私には、その子の笑顔が見えました。しっかり心の目で捉えましたね。その笑顔は私の宝物です。「ありがとう」と伝えるだけで、人を笑顔にできる。
「これが役立つこと。もっと関わっていこう」と思えました。「誰にも役立つ力がある」という神の教えと、自分の実感とがつながった体験でした。
三橋 何年か前、供丸光先生が、この教会に障害という概念はないとお話しくださいました。そのひと言で、「私は障害者じゃない。一人の人間なんだ!」と自信が出ました。力が出ました。信者になって30年以上たちますが、何があっても仕合せいっぱいの毎日で、ありがたい環境だなと思っています。
木幡 世の中では、「障害=弱者」と思われています。でも、神の教えを知ると、「不自由」であっても、「弱者じゃない」と思えます。供丸光先生から、「サポートが必要なときは『お願いします』と頼り、心から『ありがとう』と言えばいいんです。それが、相手の『役に立てた』という喜びを引き出せるからです」と教えていただいた時、心強く生きていこうと思いました。そういう気持ちで、人と関われる自分が誇らしいです。もともとは消極的なタイプでしたが、力強く生きている人たちに触れることによって、積極的に人と関われる自分になれました。自信がなくなることもありますが、「人は役立つために誕生している」そのひと言で立ち直って、また頑張ろうと思えます。
それぞれが自分にできることに力を尽くし、家庭で、職場で、なくてはならない存在感をますます発揮していくでしょう。
供の会で 真実「真理」を学ぶ環境を 大切にされよ
気付き 悟りを深め 信者はますます 世(社会)の人々に触れて
「健康な心」「豊かな心」「感謝の心」を示す手本であれ
供の会で 真実「真理」を学ぶ環境を
大切にされよ
気付き 悟りを深め 信者はますます
世(社会)の人々に触れて
「健康な心」「豊かな心」
「感謝の心」を示す
手本であれ
『真実の光・神示 平成31年・令和元年版』125ページ