聴覚、視覚、肢体障害者とそのご家族を対象とした会です。この会の趣旨や環境をはじめ、授業や行事をご紹介します。

 

体の障害があっても、自分の良さを生かして社会に役立つ心を、神示を基に学びます。周囲と積極的に関わり、互いに支え合って明るく生き生きと過ごす、そのような心が育めます。 ご家族の方もご出席いただけます。

 

 

教主が合同の会に出場され、供の会に向けて神が新たに表された神示をもってご指導くださいます。月々の供の会では、その神示を基に学びを深めていきます。令和2年は、8月22日に行います。

 

 

神総本部;毎週土曜日 13:00

第1土曜日 肢体障害の部
第2土曜日 視覚障害の部
第3土曜日 聴覚障害の部
第4土曜日 合同の会(偉光会館に中継)

※「合同の会」は、聴覚、視覚、肢体障害の部合同で行います。

 

令和2年カリキュラム(令和元年12月から)は以下の日程で行います。

毎月第2土曜日 13:00 聴覚障害の部(偉光会館に中継)
毎月第4土曜日 13:00 視覚、聴覚、肢体障害合同(偉光会館に中継)

 

宮事 窪田和子、宮事 桜田恵子、宮事 仙場眞由美

 

 

神総本部友和会館4階、全国偉光会館(第4土曜日のみ中継)

 

 

「聴覚障害の部」と「合同の会」では、手話通訳の方が入り、ホワイトボードに要点の書き出しも行っています。「視覚障害の部」と「合同の会」では、盲導犬の入場も可能です。
また、神総本部では、難聴の方が、ヘッドフォンを使用して、個室で「合同の会」と、一部の授業を視聴することもできます。さらに、友和会館2階相談受付では、教会図書を点訳した本の貸し出しをしています。整った学びの環境を、ぜひ存分にご活用ください。

 

 

 

生後数カ月で聴覚に障害を来し、サイレンなどの大きな音以外は聞こえません。耳が聞こえないことを受け入れるまでには時間がかかりましたが、今は「一度きりの人生だから、楽しい毎日を重ねていけるように頑張ろう」という気持ちです。
休日には、目と耳が不自由な方のマラソンの伴走をしています。通訳介助者の資格も取得しました。伴走や研修会などで通訳をしたときに、「あなたにお願いしてよかった」と言われるのが大きな励みです。耳が聞こえなくても、できることがたくさんあります。神の教えを学ぶ中で、それを確信しました。これからさらにいろいろなことに挑戦して、「この人生でよかった」と言い切れるように頑張ります。

 

 

20歳の時に交通事故で両下肢にまひが残り、一本づえを利用して歩行するようになりました。その後は就職先が決まらない状況が続き、情けなさと恥ずかしさで、周りにも現状を知られるのが嫌で、誰とも会いたくない気持ちでした。
供の会に参加するようになったのは、2年前からです。ハンディがあっても、自分のなすべきことに真剣に取り組んでいる皆さんの姿に感動しました。そして、自分も世間体を気にせず、就職活動を続けていこうと気持ちを立て直せたのです。なかなか就職先が決まらず、落ち込みそうになっても、「誰にも仕合せになれる力がある。世間、社会の基準では計れない時期がある」という神の教えが私を支えてくれました。
その中で決まった仕事が、病院での事務職です。事務処理が早い私に、「いてくれないと困る」と言ってくださる方もいます。職場にはいろいろな方がいて、常に平静でいられるわけではありませんが、教えを学ぶと、「今に満足、きょうに感謝」「感謝心とは、物事を大きく捉える心」など、そのときに必要なことに気付かせてもらえます。
仕事の傍ら、社会福祉士の資格を取得しました。これまで多くの医療関係者や障害のある方にお世話になったので、今度は自分が支援したいと思ったからです。これからも、周囲に役立つ生き方を見つけていきたいと考えています。

 

 

7年前に突然難病を発症し、今は、右手しかまともに動かせなくなりました。その間、想像を絶する痛みとともに、思い描いていた未来が一瞬で見えなくなったつらさが募り、「何で生きてるんだろう?」「もうどうでもいい」と何度も思いました。
そんな私が、教えを学んで気付いたのは、先を考えるのではなく、「一日一日何ができるか」「今、100%出せるのは何か」を考えることが大切だということです。生きていれば、いいことも、悪いこともある。つらいときは、泣けばいい。それで発散したときに、何かしら残るものがあるはずだから、それを大切にしていこうと思ったのです。
私にとっては、それが家族や友達、仕事でした。身体的に失ったものは正直大きいです。でも、私には大切な家族や友達がいて、支えてくれます。仕事もできます。端から見たら不幸かもしれませんが、そうではなくて、不自由なだけだと分かりました。健常者として生きてきた時には気付けなかった仕合せに、ようやく気付けたのです。
障害者として外に出ると、スロープや身障者用のトイレが当たり前にある社会は、本当にありがたいと感じました。同時に、先人の障害者の方はどれほど苦労されてきただろうと思うと、今度は自分の番だと心が奮い立ちました。
障害のある人が外に出て、何かをするのは大変なことです。怖さもあります。一方で、障害者が勇気を持って社会で働くことで、還元できることも必ずあると思います。私の姿を通して、誰かの人生が少しでも豊かになるのなら、障害者になった意味がある…、そう思うのです。これから先、つらいこともたくさんあると思いますが、前を向いて生きていきたいです。

 

 

私は、9歳で若年性糖尿病になり、以来、入退院を繰り返してきました。逆流性食道炎、すい炎、大腸と胃のポリープ…。ありとあらゆる病を患い、入院するたびに医師から「覚悟してください」と言われてきました。
信者になったのは、25年ほど前です。その頃の私は視力を失い、「一生人の手を借りなければ何もできない」という絶望感しかありませんでした。透析治療を受けることにもなり、祈願と神の教えが私の支えでした。
学べば学ぶほど、前向きになっていきました。確かに、上を見れば切りがないかもしれない。でも、私は目が見えないだけで、手や足は動く。人と違うところは何もない。目が見える人は、何でも自分でやらなければいけないのだから、その分少しでも自分にできることはないか…。そう心が変わったのです。
まずは、家事に挑戦してみました。最初はお茶わんを拭く程度でしたが、今では、私が家族の料理を作れるまでになりました。時々、近所の一人暮らしのお年寄りにもお裾分けして、喜ばれています。
最近は、入院したり、低血糖などの症状を起こしたりすることはほとんどなくなりました。「家の中でも、どこでも、私にできることは、ささいなことでもしてさしあげたい」という気持ちで過ごしています。少しでも神の教えを実践できるように、日々努力しています。
私は今、仕合せです。何百回も命を失いかけたからこそ、私自身が正しい生き方をして、命を大切にしていこうと心に誓っています。