「心」の語源を調べてみると…

このコラムのテーマは「心の基」。「ココロっていったい何だろう!?」と考えてみれば、非常に難しい問いです。WEBを通して探ってみると、このようにありました。元は、胃や腸など、内臓の総称として使われていたようです。心臓なども、含まれていたかもしれません。コルやココルというように、片仮名で書いてあります。諸説あるのでしょうが、コル、ココル、内臓、心臓…それが変化して、精神的な意味を持つ「心」に発展したようです。人間の精神作用のもとになるもの、という趣旨の記述があります。

次に辞書を開いてみますと、驚くほど多くの使い方がありました。「心が軽い」。音を当てると、浮き浮きするような心。「心が騒ぐ」ざわざわざわざわ、何となく不安を感じます。「心が沈む」音を当てると、ズーンでしょうか? 落ち込んでいる状態。

「心に留める」、「自分が言った何でもないことを、あの人は、心に留め置いてくれた」気配りのできる人のイメージ。「心にもないお世辞を言った」…何だか嫌な人のイメージ。

ひょっとしたら、「心」という言葉は、辞書に載っている単語の中で、一番活用の幅があるのかもしれません。大きな辞書に、小さな文字でびっしりと、6ページにもわたって、活用や「心」の付く単語が並んでいました。それだけ、人間にとって大切な、そして多様な意味を持つ言葉が「心」と言えそう。

さて本題の「心の基」。「基」の部分は、辞書によると土台、基礎。根本、根拠…と文字のままの意。当教会でも、信者と籍を置いたならば、最初に学んでいただきたい授業としてご案内しているのが「信者心の基勉強会」です。

基本のイメージ。学校で最初に学ぶものは、おそらく、平仮名。一度覚えたら忘れることはありません。大学に入って平仮名から復習するということもない。これが基本のイメージかと思います。すなわち、基本は、ある意味「簡単」。

大切だけれども、一度覚えたら後はそのまま、知ったらおしまい、というのが常でしょう。

 

「一番簡単」ではなく、「一番大事」

教会にもさまざまな教義があります。基となる「教え」もたくさんあります。これらは確かに基本的な事柄ですが、「一番簡単」ではなく、「一番大事」なことと捉えていただきたいのです。人間が仕合せを手にするために、当然努力も必要です。仕合せを手にするために、当然時間もかかるでしょう。その仕合せを手にするために、一番簡単なものが基ではなく、一番大切なこと、それが「心の基」なのです。

それを裏付ける教会の教義に、見えないものが、実は人間界の基(もとい)に存在している、この見えないものが、この世の中を回している、というものがあります。

これについては、次回、詳しくお話ししたいと思います。

初回は、ぜひ、さまざまに活用される「心」について、その底知れぬ奥深さを感じていただけたならと思います。