(宮城県KO/60代男性/水産加工会社社長)
大災害からの復興を誓って
東日本大震災では、経営していた水産加工会社やホテル、自宅を全て失いました。それでも、出張が急きょ取りやめになり、会社にいたおかげで社員を避難させることができ、家族も間一髪のところで無事だったのです。
波が引いた後、会社に行くと、民家や車、船が積み重なり、見上げるほどのがれきの山になっていました。その上の方にすごく光る物があり、上ってみたところ、義父の玉納奉寿(葬儀)で飾った大きな遺影でした。額縁が外れているにも関わらず、汚れ一つ付いていません。誰かがそっとそこに置いてくれたように感じて、涙が止まりませんでした。会社は閉じるつもりでいた私の心に、「お父さんの会社を復興させたい」という思いが膨らんだのです。
自分だけ再建しても意味がない
父は、初めて会った時から私を気に入り、実の息子のようにかわいがってくれました。仕事ではぶつかったこともあったものの、お父さんのために、お父さんと力を合わせて、懸命に働いてきた、私にとっても掛け替えのない会社です。従業員の働き口を確保するためにも、何とか立ち上がらなければ…と思いました。
そうして妻と相談し、偉光会館に何度も足を運びながら、再建に向けて動いていったのです。その時に思ったのは、「自分の所だけ再建しても駄目だ。港中を復興させよう! みんなで元気になろう!」ということでした。
皆を励まし、心を一つに
周りの社長さんたちに声を掛けていくと、「俺はもう駄目だ」と肩を落とし、生きる気力を失っている方も少なくありません。お一人お一人に、「みんなで頑張ろうよ」「こんなんで負けちゃ駄目だ」と、とにかく呼び掛け続けました。みんなで話し合い、行政にもつなげていく中で、国からの援助も得られたのです。
それでも、「俺はよく分かんねえから、好きなようにやってくれえ」と言う人もいます。神と出会う前の自分なら、「なら、好きなようにやったらいいさ」と間違いなく短気を起こしていたはずです。それなのに、「分かった。いいよお」と言えるのです。神の教えにあるとおり、みんなの心が一つに重なるように、調和できるように…と意識しながら進めました。そうできたのは、心の中で神の御名を叫び、つらさや苦しさを訴え続けていたからに違いありません。妻にも、本当に支えてもらいました。そして、ようやく半年後、事業の再開を果たし、商品を出荷できた時は涙があふれました。
人生を支えるものが見えた!
若い頃は、「お金持ちになりたい」と、ほとんど寝ないで働いたこともあった私です。しかし、会社を大きくしても、お金をためても、何にもならないと、東日本大震災で身に染みました。今は、「人のために…」「人が喜ぶことを…」という気持ちしかなく、人の喜ぶ姿が自分の喜びになっています。組合の理事や、縁のある会社の監査役などもしているため、年末まで予定はびっしりですが、不思議と疲れません。短気で、強情な性格も少しずつ丸くなり、妻も、「何でも話しやすくなった」と喜んでいます。子供たちにも慕ってもらい、みんなが遊びに来た時は、私とハグをするために、孫たちが列をつくります。列の最後には嫁いだ娘までいて、「おまえもか」と言いつつも、かわいくて仕方ありません。こんなふうに変われたのは、神の教えを学ばせていただいているおかげです。神と出会えて本当に良かった…。私は、神示教会の信者であることを心から誇りに思っています。
今の私の願いは、子供や孫に、人を仕合せにする生き方をしてもらいたいということです。そのためにも、家族みんなで新生した宮城偉光会館に足を運び、必ず生き方を高めてまいります。まずは自分自身が、人の仕合せのために精いっぱい奉仕心を発揮していく所存です。