皆の真心で磨き上げる神の館
清掃を通して自分の心も豊かに

全国の神の館で実施されている「清掃」。ただの「お掃除」ではありません。救いの御場所である神の館を清めるとともに、自分自身の「心を見詰め、清める」場。開運するために欠かせない、“奉仕心”を高められる掛け替えのないひとときなのです。
「何かお役に立てることは…」「一拭きでもさせていただきたい」。多くの有志が、救われた感謝の思いで集結。心を重ねて、神の館磨きに臨んでいます。

 

神総本部では、毎日、地域の仲間による清掃が行われています。まず始礼で、自分の心を磨く場であることを、あらためて確認。「仲間と心を重ねて取り組もう」「この環境を使う人たちに、仕合せになっていただきたい」。自然と愛の心が膨らみます。

 

重いバケツはおのずと二人で持ったり、率先して道具を運んだり。通りかかった参拝者にも、「こんにちは。こちらをお通りください」と気持ちよく挨拶。「きれいにしてくれて、ありがとうございます」と、信者さんも思わず笑顔に。仲間同士も、「私はこちらをやりますね」「ここまで拭いてあります」と声を掛け合って…。一人一人が周りへの配慮を欠かさず、できることを精いっぱい。でも、一人でするのではありません。それぞれの力を重ね合って、「みんなで一緒に…」。誰もが、あったかい気持ちで満たされます。

 

神総本部で月に一度行っているのが、「友輝会」(15歳~30歳の未婚者)で学ぶ人々を対象とした清掃です。「奉仕心を磨くためにも、仲間と関わることが大切」「積極的に声を掛け合って…」。始礼に聞き入り、ピンと背筋を伸ばす若人たち。
誰かが掃き掃除をしていれば、ちり取りを持っている人が駆け付けたり、初参加の人に、慣れているメンバーが寄り添ったり。全員が「人のために役立ちたい」気持ちで一生懸命。最初は緊張していた人も、みんなが醸し出す和やかな雰囲気のおかげで、すぐに打ち解けます。
お互いが愛をかけ合い、真心がピタッと重なり、気持ちの良い環境が広がっていく。神所での清掃の醍醐味(だいごみ)です。

 

最後は、地域の仲間と一緒に祈願をして終了。「友輝会」の若人は、終礼をして納めます。ほんのひとときではあっても、共に心を磨き合った仲間たち。同志の存在に、「自分ももっと、教えを生き方に取り入れよう」という意欲が高まります。

 

参加者からは、このような声が上がっています。
「何でもせかせかやってしまうタイプですが、きょうは、『どんな方がこの椅子に座って学んだんだろう。あした使う人も、しっかり学べるといいな』という気持ちで、丁寧に丁寧に磨けました。家でも、家族を思いやってお掃除します!」
「会社で、こんなに心を込めて作業に取り組んだことがあったかな…と考えてしまいました。もっと『心の姿勢』を大切に、仕事にも人にも関わっていきたいです」
「困ったなと思った瞬間、周りの人が手を差し伸べてくれて…。『協力する』っていうのは、相手のために心を使うことなんだ。みんなの姿から学ばせてもらいました」

 

偉光郷では草取りを

湯河原にある「偉光郷」は、納玉(納骨)施設も整えられた、人々の魂を救う御場所。「故人に会いに来られる方々の心が安らげるように…」「大切な場所をきれいに…」。真心いっぱいの有志による草取りを、月々日程を定めて実施しています。

「単なる草取りではなかった!」参加した人たちは、一様に驚きます。
「人を思い、人のために役立とうとする、その一念で過ごす時間の、何て清らかなことか…。とにかくすがすがしい気持ちです。いつでも、どこでも、誰に対しても、こういう心で触れていけばいいんだって、よくつかめました。頑張ります」
「きょうは夫婦で参加したんですが、家と違って、夫に『この辺をやろう』と言われるまま、素直に作業できました。たったそれだけで、夫がとてもうれしそうで…。これからも、素直な心で、夫と向き合っていきます」

終了後は、仲間と一緒に湯処で汗を流し、食事を共にして、ますます縁を深めています。

「お掃除」ではない、神の館の「清掃」。仲間や訪れる人々との関わりを通して、感謝心、奉仕心、愛心を深め、豊かな生き方を自分のものとしていきましょう。

 

偉光会館で参加を希望される方は、偉光会館ごとにご確認ください。

 

活気あふれる全国の偉光会館の様子

全国の偉光会館でも、清掃や草取りなどを行っています。感謝の心、奉仕の心、愛の心にあふれ、誰もが輝いています。