ことし、体に障害のある人たちがスポーツ選手として出場した、パラリンピックが開催されました。ハンディがありながら一生懸命競技に挑戦する姿に、感動し、勇気や希望をもらったという人も多いことでしょう。人には誰も、神から一人一人に授かった、社会で役立てる“運命”があります。その力を生かせるように、障害のある人とその家族が集い、共に心を高め合うのが「供の会」です。
令和6年は、通常の勉強会では学びにくい聴覚障害者を対象に、2月と5月に実施。9月16日には、聴覚、視覚、肢体障害のある人が一堂に会する「合同の会」が、神総本部と全国の偉光会館を中継して行われました。一年ぶりとなるこの行事を楽しみに、家族や仲間と連れ立って足を運ぶ方たちが次々と会場へ。白杖(はくじょう)を突く人、車椅子の人、手話をする人とが、障害の壁を越えて触れ合えるのも「供の会」ならではです。
社会の役に立つ“運命”の力は一人残らずにあります。しかし、その力が光るかどうかは自分次第。発揮するための秘訣(ひけつ)は…。職員の言葉に、誰もがくぎ付けです。まずは、「家庭で温かいやりとりをすること」から。そこに、「家族の役に立ちたい」という気持ちが湧き上って、心が生き生きしてきます。
「役に立つ」というと、何か大きなことをするような感覚があるかもしれませんが、そうではないのです。「いつまでも一緒にいたい」「もっと話をしたい」と思われる存在感になるのも役に立つこと。「皆さまはどうでしょうか」との呼び掛けに、「それならできる」「そうなれてきたかも…」と心で受け止める出席者たち。さらに、「家族に気持ちを伝え、家族の思いを聞いて受け止める」のも役立つ姿と確認しました。
続いて一年の歩みを振り返りながら、「家族や縁者との関わりの中で、“教えで生きている”と実感できたこと」をテーマに発表し合いました。
「年を重ねても親は親。頼ることも大切と気付いた」という視覚障害の女性。何かにつけて声を掛けるうちに、両親と会話が弾むように。毎日がとても楽しくなったそうです。
偉光会館で出席の肢体障害の方は、「あなたがいると場が和む」と周りから推薦されて、地元で活躍。「人の話に、思いを重ねられるようになったのは、教えを学んでいたから」と、はつらつと発表しました。仲間の話に共感し、すてきな生き方をしている姿に、惜しみない拍手を送る出席者。教えで生きる力強さを、各人があらためて心に刻みました。
行事後は、自然とあちらこちらに輪ができて、気付いたことや、これからの実践を語り合う姿が。
「親への感謝を語る仲間の発表を聞きながら、目が見えないから、やってもらって当たり前という自分を反省しました。早速、家族に『いつもありがとう』と伝えます」「その気持ち、私も分かる! 家族には感謝しかない。だから、夫にもっと優しく接して、会話をたくさんしていきたい」
。
二人とも障害があるという夫婦。会話がうまくできなくても、「妻に支えてもらって今があります」と笑顔で語る夫は、「お願いします」「ありがとう」が習慣に。いつも明るく仲むつまじい夫婦の姿を見て、訪問診療の先生から「今度の往診に研修医を同行させたい」と声が掛かったそうです。「こうして夫婦で役立てることがありがたいです」と語りました。
年頭から8カ月の心の成長を見詰め、さらなる前進を目指そうとする「供の会」の人たち。明るく力強く生きる出席者に感化されたという、初参加の人がいました。障害を受け入れられず、何度誘われても拒み続けていたその方が、終了後には、「障害を物ともしない皆さんの姿に勇気を頂きました。また来ます」と、まるで別人のように大変化。「供の会」の環境から良い連鎖が広がっていきます。
ともすると、障害があることにマイナスな感情が渦巻く世の中。しかし、教えを学んでいれば、のみ込まれることはありません。「運命」という掛け替えのない宝物を持っていることに、自信を深めたひととき。その宝で、世に役立ち、人から求められる“生きがい”あふれる人生を送ろう。神の教えから、生き方をつかんだ信者の笑顔は輝いています。
次回の「供の会」は、11月30日(土)、聴覚障害の方とその家族を対象に、「聖日記念祭」の内容をつかんでいただけるように実施します。周りに対象の方がいられましたなら、どうぞご案内ください。