偉光郷で「福寿の集い」を実施
「開運」を果たす誓いを新たに

神の教えを生き方に取り入れていくと、「心が変わり、人生が変わる」ことを、誰もが体験します。日々心穏やかに、仕合せを実感しながら満ち足りた人生を歩み抜けます。その価値をつかんだ人が、生涯にわたって神と生きる決意を表すのが「『明魂』誓願の儀」。そして、その誓いの思いを固め直す儀式が「福寿の集い」です。

「福寿の集い」は、毎年行われます。それはなぜなのでしょう。どれほど固く結んだ靴ひもも、歩いているうちに緩んでしまうように、強い決意も、生活する中で、気付かぬうちに薄れてしまうものだからです。人間とは、そういう生命体なのです。ですから、教えに沿って神と共に生きる思いをあらためて誓う場が、どうしても必要なのです。

 

今年も、神奈川県湯河原町にある偉光郷で、6月、7月に、「福寿の集い」を実施しています。神が「御魂安置所」と表される神玉里(納骨施設)がある偉光郷は、親から子、孫へとつながる「心の道」を確かなものとするために欠かせない施設です。そこに、明魂登録をした方と、立会人、立会補佐人、そしてご家族が集まります。

 

大自然を眺めながら、家族でゆったりと参道を進む参列者。中には、四世代で訪れた一家も。待合処には、和やかな雰囲気が漂います。

 

定刻には、そろって儀式会場へ。開式とともに、それぞれが真剣な面持ちで、伝導師の言葉に耳を傾けます。祈願の場面では、家族と支え合って今日を迎えられた感謝と、ますます生き方を高め、心の道に良いものを残していく決意を、神に届けました。明魂登録者の願いを支えられるように、同席した家族も思いを重ねて祈願します。

 

儀式を受け、誓いの心を深めた参列者。その表情は晴れやかです。

「きょうの天気予報は『雷雨』でしたが、家族と、『それも思い出だね』と笑いながら来たんです。以前の私だったら、『どうしよう』『何でこの日に』と焦り、文句を言っていたはず。教えを学んできて、これほど変われたことがうれしいです。しかも、不思議と青空まで! 心を磨けるのは、生きている“今”この時だから、これからますます頑張ります」

「偉光郷には、両親を納玉(納骨)しています。儀式を受けて、親から受け継いだもの、私が子供に残していくもの…。あらためて“自分の人生”を見詰められ、身も心も引き締まりました。この場所に来られて、本当に良かったです」

「『“あなたと一緒に” 悔いのない人生を歩みたい』と折に触れて伝えていたら、今度、夫も明魂登録をすることになったんです! うれしくて、もう心がニコニコです。だから儀式では、家族の信頼に応えられる、もっと愛深い自分になれるよう、真剣に思いを届けました」

 

誰もが、いずれは人生の終焉(しゅうえん)を迎えます。その時に、大切な家族に見送られ、巡りくる命日には、「あんな生き方をしたいね」としのんでもらえる一生を送りたいもの。命ある「今」を神と共に生きれば、それは必ずかないます。家族と縁を深め、心を磨き、一日一日を大切に過ごしていきましょう。そうした日々の積み重ねが、子や孫に良いものを残すだけでなく、やがて生まれくる、次の自身の人生をも、今生以上に喜び多いものとしていくのです。

 

「福寿の集い」は予約制です。さまざまなご事情で、偉光郷まで足を運べない方にもご参列いただけるように、8月に神総本部、偉光会館においても、日時を定めて実施します。